子どもの頃から、何度このフレーズを聞かされてきたか分からない。
確かにその通りだ。
しかし私は、世間一般が安易にそう言い表すことに対して、うんざりしてきた。

あきらめるのは良くない!
これは、いつも前を向かなきゃ…という、強迫観念に人々を追いやる。
この強迫観念は、かなりしんどい。あきらめずにいくら頑張っても、どうにもならないことがあるからだ。
例えば、今の私がプロ野球の選手になりたいと思っても、無理だ。それを「あきらめるな!」なんて言う人がいるとは思えない。
だから「あきらめたら、そこでおしまい」の活用は、全てには当てはまらない。ケースによるのだ。
そんなこと、誰もが分かっている。
あきらめたら、ずっと楽になれるし、そこから始まる何かがある。
これは、年を重ねていきながら、自分が自分自身と夢の取り引きをするようなものだ。
仏教の教えでは、諦めは断念ではなく、明らかに極めるということを意味する。
自分ときちんと向き合い、明らかに極めることによって、そこから始まるものがある。
私は、そう信じている。
こと音楽に関しては、もう人前で演奏することなど、よそうと何度も思った。
けれど、ギターやピアノを弾くのはやめようと思わない。
下手だし、しかもよく間違える。
これを明らかに極めた結果、練習するしかないと分かった。
当たりまえだけど。
ただ、とにかく人前で演奏したい!という思いはない。
こちらは、じきに自分のなかで、自分自身との取り引きが始まるのを感じている。