「人間は、明日の命すらどうなっているか分からない」とは、よく耳にする言葉です。しかしそれを実感する時は、誰かが亡くなったとき。自分の死は実感できない。つまりは一人称の死はありえず、いつも三人称。

(注:心霊写真ではありません)
ところで、人と関わるのがベースの仕事をしておりますと、実に様々な出来事に遭遇します。
「事実は小説よりも奇なり」なんてことはよくあることでして、お蔭様で?たいていのことには驚かなくなっています。
しかし、何度経験してもこれだけは驚きます。それは、身近な方が急逝された時です。
いつも元気はつらつなAさんが昨夜遅くに、くも膜下出血で急逝されました。
Aさんとは、まさに昨日の夕方に電話で話をしたばかり。電話を終える際に、脚を怪我している僕を気遣って「焦ったらいかんよ。時間が薬なんだからね。気をつけて」と優しい言葉をかけて下さいました。
そのAさんが、もうこの世にいない。
ところで、後悔しないように生きることって、できるのでしょうか。
死には、何らかの不全感が伴うのではないか。つまりは未練を残してこの世を去るのが常ではないか。そんなことをいろいろと考えていますと、出口が見えなくなってきます。
どちらにしても、できるだけ後悔しないように生きたい。「できるだけ」という前置きがなければ、詭弁になるのではないか。
ああ~また出口が見えなくなってきた。
音楽に関して言えば、演奏のあとに不全感が残らなかったことは、これまで一度もありません。
だから、やめない。できるだけ後悔したくないから。