
中学三年のときの学級文集で、座右の銘を紹介するコーナーがあった。
自分にその順番が回ってきたとき、こう書いた。
「俺がやらねば誰かやる!」
担任の先生に誉められましたね。男気があるってね。
けれども、担任にはもう一度よく見てほしかった。
「俺がやらねば誰がやる!」ではなく
「俺がやらねば誰かやる!」なのだ。
前者は、傲慢な思考ではないか。そして危険な思考でもある。
大多数が「俺がやらねば誰がやる!」と思考し一斉に行動したら、大喧嘩どころか戦争にまで発展する可能性がある。
しかし後者「俺がやらねば誰かやる」は、現実を踏まえた思考だ。
そう。放っておいても「誰かやる」。
気楽に生きましょや。
高校三年のとき、進路指導で学級担任から「座右の銘はなんだ?」と問われたが、もちろん「俺がやらねば誰かやる」と答えた。
担任は、もう一度聞いてきた。そして「俺がやらねば誰かやる」をくりかえし唱和した。
担任はニヤリと笑い、それは一つの定理たり得ると言った。担任の専科は倫理学だった。
社会人になり、はや30年以上になる。
いまだに「俺がやらねば誰がやる」は、傲慢だと感じる。そういった思考が、若手の能力をスポイルするのだ。
「俺がやらねば誰がやる」は、多用できない。疲れるだけ。
ここ一番だけで十分でないかい。
俺がやらねば誰かやるのです。無理矢理自分を鼓舞せず、楽に生きましょうや。
出来ることをキチンとやれば、それでいいんじゃないかい?
それでええんよ(^^)