
老人集会所のサークル発表会に呼ばれ、高齢者の施策や情勢について少しばかり話をしてきました。
人の前でおを話させていただくということは、内容や構成によっては準備にとても時間がかかります。今回も例外ではなく、それなりに時間をかけて出かけました。
フラダンスや日舞、カラオケやコーラスの発表が続く中、場違い的な僕の持ち時間がありました。
取りあえず導入の笑いをとって、いつものように話を始めましたが、ほとんどの人が聞いていない!
会場は割りと熱気を帯びていて、出番が回ってくるのをそわそわして待つ人、それとは反対に出番が終わってほっとしている人、友人たちとの話に花を咲かせる人など、皆さんそれぞれの時間を過ごしていらっしゃいます。
これはこれで、とてもよいこと。
誰も聞いてくれないのは慣れっこなのですが、今回はそれに加え、進行役の方から大きな巻きが入りました。
そんなに話がつまらない?ならば呼ばないでほしい・・・。そう思ったのであります。仕方がないから、途中で無理やり話をやっつけるしかありませんでした。
会場を後にするとき、進行の方が謝りに来られ、こう言われました。
「せっかくのお話だったのに、どうもすみません。全体の時間が余ると思ってお願いしたのですけれど、思いのほかサークルの皆さん、熱演されましてね。時間が足りなくなってしまって・・・。」
「全体の時間が足りなくなったのですか?いやいや、それは素晴らしい!」
嫌味ではなく、正直にそうお返事をしました。
主役は発表サークルの皆さんですから、僕の時間を削っていただいても全く構いません。皆さんが元気になるなら、そのほうが俄然よいです。何故なら発表会は今ここで行われているのだし、やるなら今しかないのですから。
あと二十年、三十年後。
自分はどんな年寄りになっているのか、想像することがあります。けれど未来のことはどうなるか分かりませんし、存在しているかどうかも分かりません。
もし存在し得たとしたら、その時々で感じることを歌にして、語っていたいと思います。
その一方で、○×○×・・・のような爺さんになっているかもしれませんが。(※)
※ 年をとっても異性に関心のある人は、長生きだという統計があります。