
徹子さんを、自分は密かに尊敬している。
徹子さんが司会をしていたTV番組「ザ・ベストテン」を記憶されている方も、たくさんいらっしゃると思う。
中学生だった頃、シャネルズ(後に、ラッツ&スターと改名)の「ランナウェイ」という曲が大ヒットしていた。
番組の中で、シャネルズが中継先でランナウェイを歌う場面があった。
イントロが流れる前のこと。アナウンサーが、シャネルズのファンだという少年にマイクを向けた。
アナ「君はシャネルズの大ファンなんだってね。今日は彼らに質問があるんだって?」
少年「ええと…シャネルズは黒人の格好をしているのに、どうして香水(シャネル)の名前を(バンド名に)つけたのですか?」
これに徹子さんは怒った。言葉の端々は忘れたけれど、こんな内容だった。
「黒人だからって香水をつけたらおかしいの?同じ人間なのに。それは人種差別といって、とても恥ずかしいことなのよ・・・」
少し早口で、悲しそうに徹子さんは語った。それは少年にだけではなく、僕も含めテレビの向こうにいる人たちにも語ったように思えた。
人種差別や特定の民族に対する差別は、依然としてなくならないばかりか、むしろ激しさを増しているようにも思える。
話は変わるけれど、僕は仕事でこれまで、在日コリアンの方や中国残留孤児の方、被差別部落に住む方など、いわゆる社会的マイノリティとされる方々と多く接してきた。
そんな中で、一人の在日ハルモニと出会い、自分にとって一生忘れられないと思う出来事があった。
当時ハルモニがいる地区を担当していたとき、そのハルモニに、とある制度の申請書類のサインをお願いした。あたかも当然のように。
ハルモニは少し戸惑いながら「私は80歳になって、デイサービスで自分の名前(日本名)を書くのを練習したんだよ。こんな書類は初めて書くからさ、恥ずかしいけど笑わんでよ」と言って、たどたどしいながらも力強く、自分の名前を書いた。
地区には、読み書きの出来ない方がいることは分かっているはずなのに。
僕は自分の対応を恥じた。
80歳になってから一生懸命練習して、自分の名前を書けるようになったハルモニには、僕は到底かなわない。