東北大震災から三年が経った。石巻の人たちはあれからどうしているだろうかと、色んな顔を思い浮かべては複雑な思いを巡らす。
僕は小学6年生の時から石巻で育ったが、生まれたのは広島だ。転勤が多い父親の仕事の関係で、幼少の頃から一つ処に落ち着いて暮らしたことがなかった。小学生の時は五回ほど転校を経験しているし、短くは一ヶ月で転校したところもある。
新しい土地に行っても、どうせいつかは転校するんだ。そんな思いにいつも怯えながら暮らしてきた。そんな僕が唯一落ち着いて暮らせた土地が石巻だった。
しかし、土地の人間からすれば僕はよそ者だ。風土や人の気質、言葉も違う。そんな石巻になかなか馴染めず、嫌な思いも数知れずした。
高校生になると、将来の進路をある程度描くことになる。僕は石巻から出たくて仕方がなかったから、とにかく県外への進学を希望して、実際にその通りになった。
僕が石巻から出て行って二十数年後。
東北大震災で、石巻も甚大な被害を受けた。実際に僕自身も友人を亡くしている。
逆説的なようだけれども、それからよくこう考えるようになった。自分にとって石巻は本当の古里なのだろうかと。
確かに震災直後は、僕自身も気持ちの上で相当なダメージがあったことは自覚している。そして何か行動を起こしたいと思って、その思いを歌に託したりチャリティコンサートをやったりした。
けれど、思いを込めた(つもりの)歌は封印したし、回を重ねようと思っていたチャリティコンサートはそれ以来企画すらしていない。
これは震災に対する自分の気持ちの中の風化なのか。そんなことも考える。僕にとって石巻は古里なようで古里ではない。半面、古里ではないようで古里なのだ。
見事なアンビバレンツ。
昨日しばらくぶりに、林芙美子の「放浪記」を紐解いた。その冒頭で芙美子はこう綴っている。
「私は宿命的な放浪者である。私は古里をもたない」
芙美子もまた、義父の仕事の都合で居所を転々とした人だ。だからこの一節は、僕の心に随分と沁み入ってくる。
石巻のために具体的な行動を起こさない自分は、薄情者なのか。毎年この時期になると自虐的な思いが心を擡げる。