それは、思い出したくもないほど、嫌なことなのだ
けれども、敢えて書く

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小学生だった頃の僕は、音楽の授業が大好きだった
他のどの科目と比べても、一番好きだった
五年生になるまでは…
五年生になると、音楽の授業は専科の教師が担当することになっていた
弾んだ気持ちで迎えるはずだった、音楽の授業は…
クラス担任教師の忠告?で、重苦しい時間に変わった
「君たち、今日の四時間目の授業は、音楽室である。五年生からは、専門の○○先生が教えてくれるんだ」
続けて担任教師は言う
「三時間目の算数はな、少し早めに終わらせるから。そのかわりに、終わったらすぐに音楽室に行きなさい。絶対に遅れて行かないように!」
なおも担任教師は言う
「○○先生はな、軍隊にいたからな、時間にはすごく厳しいんだ」
それを聞いた途端…暗い気持ちになった
時間に厳しいだけなら許せるが、実際の授業は軍隊式そのもので、合唱や合奏などで少しでも間違えたなら、容赦なくビンタが飛んできた
ムチャクチャである
それ以降、音楽の授業が大嫌いになった
当たり前だ
恐怖授業と言っても、少しも過言ではない
繰り返し言う
ムチャクチャだ
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今さらその教師を恨んでも、仕方がない
しかし、恐怖授業を成り立たせた構造や時代背景は、絶対に許せないのだ
音楽は、戦争のための「道具」として使われる
真っ先に、戦意高揚の道具として
思想統制の道具として
音楽は道具ではない!
このままではいつか来た道を再び歩むことになるかもしれない
政府の動きを、知らなかったでは済まされない
放っておけば、自由に調べを奏でるどころか、安心して眠ることすらできない世の中になるかもしれないのだ
こうした考え方は「平和ボケ」的なのだろうか
(2013年6月11日のブログ記事を再編)