『古館任三郎という男』

キャスト
・古館任三郎
・今浦卓也(いまうらたくや)
・谷島夏苗(たにしまかなえ)……夏苗はキャストなしでも対応可能

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卓也「ただいまー」
夏苗「(おかえりー)」
卓也「あちー、あれ?」
夏苗「(帰ってすぐ冷蔵庫あけないの、手洗った?もう、子どもみたいなんだから)」
卓也「なぁ、俺のプリン、しらない?」
夏苗「(あ、卓也いらないのかと思って、」
卓也「マジかよ、何でお前が食べてんだよ、置いといたのによぉ」
夏苗「(ごめん、食べちゃった)」
卓也「今日はゆるさねぇからな」
夏苗「(た、たくや?)」
卓也「今日、イライラしてんだけど」
夏苗「(買ってくるから、ね、ごめんね、い、いたいよ)」

*ピンポーン
*ドアの開く音
*ドアが開いて駆け込んでくる

古畑「ぉおーっと、今まさに始まらんとしております。
 激闘、激突、熱戦、激闘、いずれにいたしましても、激しく熱い戦いなのであります、
 今夜はここ、東京都内、いや、新宿区内、あるいは、渋谷・原宿・品川・鶯谷、
 北は北海道、歯舞・色丹・国後・択捉、南は日本最西端沖縄与那国島(よなぐにじま)まで、
 日本列島を縦断すべく、この激闘が各地で繰り広げられていることでしょう。
 冷蔵庫を開けた彼の手に握られた透明の小さなスプーン。
 その透明の小さなスプーンに込められた、暑い暑い、むさくるしいまでの魂は尋常でないほど燃え上がっております、
 かたや、この冷蔵庫の中で小さく固く、食されることに、まるでおびえているかのような半透明の小瓶の中でうずくまったままの、
 卵と牛乳と数パーセントのゼラチンを溶かし固めた、淡くうすい黄色みを帯びたその半固形状の物体が鎮座している
 ――おっと、無いであります。
 無いのであります。
 あるはずの、卵と牛乳と数パーセントのゼラチンと、若干の糖分を溶かし固めた、淡くうすい黄色みを帯びたその半固形状の物体が、無いのであります。
 無いのでしょうかあるのでしょうか、いや、無いのであります。
 無いからこそのこの戦い、因縁のプリン対決のゴングが今、鳴り響こうとしているのであります、
 高らかに鳴り響く因縁のゴングが、鳴り響いたときにはもう、雌雄を決するのでありましょうか、
 青コーナーには男性、
 赤コーナーにはエプロンを首から胸元そして腰からヒップにかけてピンク色のエプロンの飾り紐が女性のそこそこ華やかなプロポーションを引き立てておりま

す、今宵の勝敗はこのエプロンに、期待と不安と八百万の悪しき肉欲の魔物が渦巻いております、
 いや、今宵の激戦に限っては若い男女がくんずほぐれつといったところでしょうか」

卓也「誰だよ」
古畑「あ、どうぞ、気にせずに」

古畑「犯行時刻は、そう、今、まさに犯行が行われようとしております、
 私、今、ちらっと腕時計をちらっと確認したのではありますが、
 その腕に腕時計はありませんでした、存在しないものを確認したという、
 まさに、映画館で見る2時間45分のスペクタクルのエンディングテロップの中に自分の名前を探すかのような諸行無常であります。
 空前絶後の大どんでん返しが今、まさにおこらんとしております、おーっと、壁に追い詰めた、これはいわゆる」

古畑「ちょっと、やって、いいから、壁に手、そうそう」

古畑「おーっと、壁に追い詰めた、これはいわゆる、壁ドンであります、
 すでにその言葉が生まれていくばくかの時が過ぎておりますが、
 天丼、かつ丼、牛丼の3大どんぶり戦争にその猛威を振るうべく乗り込んだ新手の新戦法、壁ドンであります、
 女性には一歩も触れないにもかかわらず、ドキドキさせてしまうという恐ろしい戦法であります。
 そのドキドキ感たるや、東京の地下鉄の乗り換えさ迷うサラリーマンの
 電子式乗車カード・非接触型ICカードを改札口の読み取り部分にいかに触れずにかざすのか、 残金はギリギリなのか、残高不足で固く閉ざされてしまうの

か、その一瞬の通過儀礼とまさに似た様相を呈してまいりました、
 時は2001年東日本旅客鉄道、現在のJR東日本に採用されたのを皮切りに、
 その後東京モノレール、東京臨海高速鉄道などで導入され、現在では日本各地をとどまらず、
 さらには2016年秋発売の携帯電話の金字塔、あのリンゴマークのスマートフォンにもその猛威をひろげているのであります。
 おっと、今、手元に情報が入りました、
 こちらの情報では、JR東日本によりますと、
 改札では、タッチアンドゴーを推奨しております 一度軽く触れてからお通りください。という情報が入ってまいりました。
 臨戦態勢のりんかい線、今宵の激戦の幕は、はたして、上がるんでしょうか!
 一度目のタッチアンドゴーのゴングは、青色信号のGOサインは出るんでありましょうか!」

卓也「なにしに来たんだよ」

古館「おっと、忘れておりました、忘れておりました、忘れてしまっておりました、
 心を亡くすと書いて忘れるという文字のその書き方を、
 誤って『志す』と書いてしまった瞬間の、その紙と文字に
 いったいお前は何に向かっているのかと問い正された瞬間のような有象無象の魑魅魍魎の空虚な瞬間がやってまいりました」

卓也「だから、なにしに来たんだよ」

古館「(何かに似せて)えー、わたくし、古館任三郎と申します、えー、以後お見知りおきを」

卓也「しらねぇよ」

古館「しらねぇよ、そうであります、そのとおりであります、
 あなたが私を知るよしも無いのであります、
 それがこの世の理、あるいは、世界遺産認定直後の文化遺産における地域住民とのいざこざの類を横目に見ながら通り過ぎる
 バス会社・ツアー会社の添乗員が右手に掲げるその旗の、
 そのわきをするりと通り抜ける秋の風の色のようなものなのであります、
 かといって、今、この時点で、「ガッテン」と鳴るあの某テレビ局の某テレビ番組のボタンを押されてしまっては、
 元も子も無いのであります、改めてご紹介いたしましょう、」

古館「(何かに似せて)えー、わたくし、古館任三郎です」

卓也「だから、なんなんだ」

古館「だからなんなんだ、そのセリフは聞き飽きたとでも言わんともしがたい表情で投げつけるその言葉に込められた感情はたったひとつ、
 うざい のひとことであります、
 バレンタインの季節に乙女が抱くチョコレート色の感情に、似ても似つかないその言葉を、今、投げつけられたのであります。
 だからと言って、公務執行妨害でしょっぴくわけにはいきません、
 非情に厳しい時間帯でしょう、
 負けられない戦いが今、幕を開けております」

卓也「だから、なんなんだよ」

古館「(何かに似せて)えー、わたくし、刑事です」

卓也「け、刑事?!」

古館「追い詰められた男の額に、つつーーーっと光るなにかがしたたるのであります、そう、これが、冷や汗なのでありましょうか!
 れーめん、つけめん、そーめん、ひやむぎ、ひやじる、福神漬け、夏の風物詩には数あれど、これは、冷や汗なのであります、
 別名、人呼んで、「嫌な汗。」
 そうなのであります、嫌なときにかく汗を、ひとは、冷や汗と呼ぶのであります、
 いったい何が冷たくご用意されているのでありましょうか、
 ときには、店の入り口の脇に、昨年も、一昨年もかけられ続けた色あせた小さな旗がかかげられ、
 今年もその季節が来たかのように、黄色い紙と、店主の右肩上がりの少しだけ下手な、
 ヘタと言ってしまっては失礼極まりない無礼でありますが、
 店主のその、ひときわ味わいあるその文字で、「ひやあせはじめました」とでも書き殴られるのでありましょうか、
 人はそのひやあせを書くとき、いわゆる「思い当たる節」があるのであります、
 言い換えるなら、
 あえて言い換えるなら、思い当たる節が無いはずが無いのであります」

卓也「お、おれは、なにもやってねぇ」

夏苗「(た、たくや)」

卓也「お、おれは、殺してねぇ」

夏苗「(た、たくや、もしかして、うそでしょ)」

卓也「ま、まさか」

古館「まさか、その、まさかなのであります、
 私がなんと言ったのでありましょうか、やすやすと追い詰められた犯人が、
 言ってはいけないそのひとことによって、自滅するのであります、
 少しだけ早すぎる展開ではありますが、
 火曜サスペンス午後8時43分42秒と同じ展開なのであります、
 坂道を転げ落ちるようにとでも言いましょうか、その坂道はゆるやかなものではありません、
 富士急ハイランドでその猛威をふるっております、ふじやま・どどんぱ・ええじゃないかの3点セットツアーでも組まれたかのような、
 急降下・急落下・急展開なのであります。
 あるひとはこう形容したと言います。
 冬の箱根駅伝。その急な峠道をどのように形容するのか、いかんともしがたい、
 苦悶の表情でのぼっていく若きアスリートたちの重い足取りに華を添えるべく、
 「おばあさんの落とした小さなみかんが、どんどんと留まることなく止まることなく転がって行ってしまっうような下り坂」と
 その峠道を形容したのであります。
 まさに冬の箱根駅伝、第5区の熱戦激闘の下り坂、
 あるいは、手元から転がって行ったはずのみかんに鬼の形相で誰よりも速く見事追いつくおばあちゃんかのような急転直下の急展開であります。

卓也「俺が、俺がやったんだよ、だけど、わざとじゃないんだ、あいつがなぐりかかってきて、
 だけど、それをよけたら、あいつが勝手にこけて、つくえの角で……、
 そしたら、血がわーーって広がって、……だからちがうんだ、おれじゃないんだ」

古館「(何かに似せて)自白は決定的な証拠にはならないと申します、けれども、ご同行願えますね」

卓也「……わかりました」

古館「行きましょう」

*数歩歩いて、立ち止まる

卓也「……刑事さん、あなたは、何者なんですか?」

古館「えー、古館任三郎でした。」

古館「今、扉が開きました、その扉はスチールのような重みと高級感といかんとも形容しがたい、むず痒い初恋の思い出のような甘酸っぱさと愛しさと心強さがこだま

する、その瞬間にはまさに、一蓮托生、ちくしょうこのやろうなのであります。――ドアSEでカット

*ドアが閉まる

 

 -END-