『 記憶 』
***シーン009 @峰島文雄
「宿題、やんなきゃ」
ベッドから飛び起きた景子は、開口一番そう言った。
唯が笑った。
朝日に包まれたベッドの上で、早朝の5時半過ぎに。
私も笑った。
さっきまで眠っていた主婦の景子が、真剣な眼差しで、言うのだ。
昨晩は急に倒れたと聞いて、こっちは心臓が口から飛び出すほどびっくりさせられたというのに。
ひとり娘をもつ母親が、その子ももう高校3年生になるというのに。
なのに、眠りから覚めて、言い放った第一声がそれだ。
『宿題、やんなきゃ』
景子はどんな夢を見ていたのだろう。
もしかしたら、自分が学生のころの夢でも見ていたのかもしれない。
私にも経験がある。今の娘が経験しているように、毎日宿題に追われる日々。
そう言えば、高校の頃の数学の先生は毎日のように宿題を出していたっけ。
ふと昨晩、日下部と二人で医師に話を聞いたときの会話が頭の中に流れてくる。
「今のところ、異常は見られません。検査結果も特に注意する結果はあがりませんでした」
私は確かにその言葉に安堵した。
「ただ、頭部を軽くですが打撲しています。おそらく気を失って倒れた際のそれだと思われます。念のため、検査入院の手続きをとっていただいた方が良いかと思います」
そう言われたことに少しの不安がよぎった。
日下部もそうだったのかもしれない。
そして、日下部が医師にひとつ尋ねた。
「もし、最悪のケースがあるとしたら、」
医師は冷静に、私たち二人の顔を見据えて、
「あえて最悪のケースを想定した場合ですが、植物状態に陥る可能性はあるかもしれません」
最悪のケースは免れた。
そうだ、景子はちゃんと目を覚ましたのだ。
ふと、景子の表情が硬くなった。辺りを見回して、景子は尋ねた。
「ここは、どこ?」
唯が答える。
「病院。山岡記念病院。学校のすぐそばの」
景子は「そう」と言い、首を傾げた。
脳裏に、昨晩の医師との会話が続く。医師は言った。
「これは極めて稀なケースですが、意識の混濁からくる、記憶障害の可能性がある場合もあります」
景子にとって、『今』の、何かがずれているのかもしれない。
景子の表情を見て、私の背筋に嫌な予感が走った。直感的に感じる、嫌な予感が。
そして、私の顔を見据えた景子は言った。
「ねぇ? あなた、誰?」