【不確実な説2】
・伊都国の津?
若松区は現代で埋め立てられてます 紫川下流域は、旧石器時代・縄文時代は湾だった 古遠賀湾があった(北九州市文化財センター) 遠賀湾は湿地帯ができて、現在に近い状態へなっていった(邪馬台国大研究など)
当時は今よりも大きな川であり、八幡西区や水巻町も一部に遠賀川が流れていた
湾や川が伊都国の津だろう
津の意味が、「川」でも「湾・港」でも当て嵌る
でも、魏志の「津」は伊都国の津なのか??
・伊都国
「女王国以北、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す。國中において刺史の 如きあり」
一大卒は、大いに率いる者
刺史は、中国の官名で「監察官」の意味である(ウィキペアなど参考)
松本清張氏「『治す』は、漢書西域伝からして、王の都として国を支配していた。」
何故か、邪馬台国は「女王都」とあり、「倭都」では無い
何故か、邪馬台国と論証される宮崎県は、「7万戸」で「女王都」であるハズなのに、武器が北部九州よりも少ない
何故か、郡の駐屯地は郡寄りした国にでは無く、伊都国に在る
武器が少ないのは、「卑弥呼 鬼道に事え、能く衆を惑わす」とあり、共に立てられた卑弥呼は、「祭祀の王・法王」「斎王・御杖代」であるからだ
卑弥呼は、何かと共に立てられた王でるので、例えば、二大国で共に立てたならば、両国に元々の王が居るままで、平和的和解のために祭祀の王を立てたのではないのか
倭国は、官・副官が居る、役所がある、法がある、階級・身分制度がある、国を治める一大卒が居る
律令制度の様なものがあった可能性がある
「特に、」とは、律令外の制度であり、外令官を臨時に置いたの意味であるかも知れない
総合的にみて、伊都国の一大卒は「征夷大将軍」の様な者であるかも知れないw
現代でも、政治の代表者「総理大臣」と「天皇」が居る
欧州・欧米系では、「幕府の征夷大将軍は皇帝」であり、「天皇は法王」であるが、伊都国の一大卒と女王国の卑弥呼もそんなところだろうか
・「伊都国 世世王有りも皆女王国に属す」
伊都国には王が居たが、歴代みんなが女王国に属していた
世世とは、代々という意味である
邪馬壹国は大和国であって、伊都国王は代々「大和」に属していたのだろう
何故、伊都国には代々王が居たのか
何故、卑弥呼が共立する以前から、伊都国には王が居て、王はみんな女王国に属していたのか
卑弥呼以前の王とは何者か
何故、他国の文書は女王国では無く、伊都国の津へ送られるようになっているのか??
「男弟 佐ける」は、「卑弥呼が男弟に佐ける」という可能性がある
卑弥呼以前の王は、降りたとは限らない
・卑弥呼が一人の人物の名前というのは有り得ない
「年増だが夫が居ない」な文は、卑弥呼の紹介文の最後の方や中間では無く、最初の方に書いてある
共立した頃に卑弥呼が若かったなら、最初の文で「生涯で夫が居ない」か、ちょうど合う年で「年増だが夫が居ない」という表現で書かれるハズである
なのに、実際には最初の方で「年増だが夫が居ない」という表現である
卑弥呼一人説の解釈では、話に脈絡が無く、「年増」がいつ頃の事かわからないし、「年増」という表現で書く必要性も無い
「女子」と書かれているからを引き合いにしても、根拠や因果としての優先順位が全然違う上、現代では年増でも「女子」と書かれるのは一般的
当時の魏・晋はどうだろうか
185年頃に共立した頃から248年頃に亡くなるまで、6才で共立したら69才くらい、10歳では73才くらい、20才では83才くらい、30才では93才くらい
三国志の最高齢は、私の調べた限りでは司馬懿72才くらい
平均年齢は50才前後
倭人の平均年齢は100才とあり、二倍年歴で言うと50才
卑弥呼は“共立した頃”に年増であるので、共立したのは15才くらいから30才の間だろう
無理やり順番をデタラメにして読んできたのが、これまでの大きな誤りである
・卑弥呼の宮殿「宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す」
楼観(物見櫓?)は、二階建てである
纒向遺跡は、年代が違うだけで無く、楼観跡が無い
普通の祭祀遺跡である
細い柱を指さして、「きっと、先進的な技術が有ったに違いない。」は、典型的な言い張るだけ結論だけの因果関係が崩壊した感情論である
銅鐸は、現代でも薄さが再現できないほどであるので、明らかに先進的な技術があった
しかし、纒向遺跡の社殿跡には何も根拠が無い
現実的には無理があるから、「きっと、有ったに違いない。」という言い回しである
・狗奴国 かやこく
狗奴国は、鹿児島県であると論証していますが、武器の跡が少ない
風土記・伝承による説で、熊襲の国は武力的なヤマト王権を嫌う、非暴力的な国だそうな
武器が少ないのと合う
ホツマでは、熊襲の国はヤマト王権に「貢がなくなった」「背いた」系の表現になっています
元々はヤマト王権の一部だったハズです
熊襲
魏志「卑弥呼狗奴国王 素より和せず」の、247年頃に背いたと思われます
ホツマツタエの、「かや兄弟」が熊襲であり、狗奴国王です
かや国という名前は、かや兄弟の名前です
・「その俗、国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦」
夫一人+妻数人に子供を含めると、大家族ですね^^
・「租賦を収む、邸閣あり、國國市あり。」
「役所が在って、租税を収める。」「国々には市場がある。」という意味でしょうか
冬でも農作物を栽培できる土地が有りながら人口が多いので、九州の国力は高かったでしょうね^^
・「家」と「戸」を使い分けているかも知れない
・末盧国の海岸には、松並木があるので、松の浦wwwww
・「渡る」と「度る」を使い分けているかも知れない
・「有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ」
大倭が居たのは、狗奴韓国と末盧国かも知れない
狗奴韓国と末盧国には官名が無い
宗像市の田熊石畑遺跡からは、「高床式倉庫の郡跡」が見つかっている
大倭の交易倉庫の跡でしょう
狗奴韓国と末盧国とでは、貴重費を輸出し合う交易があったかも知れない
・記紀・ホツマツタエの二倍年歴
6月以上があり、15日以上があるので、一日が二倍あるかも知れない
一年間は、365日の倍で、730日
中国文献で、倭人の平均年齢は100才である
二倍年歴ならば50才であり、当時の中国と変わらない
けっしはつだいの年齢や、神功皇后の妊娠中で戦ったことや出産を遅れさせたことなどは、二倍年歴ならばごく自然
(邪馬台国近畿説者の説を支持した)
・記紀 風土記 伝承 由緒書き
「記紀は、近畿では無理や不自然さがあるから、奈良時代の歴史を反映した部分が大きい。」は奇怪な話である
福岡市周辺と朝倉市周辺と北九州市・京都町周辺は、地形も地名も地名の配置も近畿地方と酷似している
九州は、近畿と同じ地名があまりにも多過ぎる
九州では、記紀を自然に説明できる
斜め読み説・暗号説・飛ばし読み説・好きな年代に自由に選んでいい説(失笑)は、詭弁である
同じ手法で他が矛盾するなら、根拠が無いなら詭弁である
ごく自然に説明できていても、「違う」「間違い」との結論だけで言い張る
記紀の、非科学・信憑性の無い話
天上の話や神が現れる、神話な部分
異常に高い年齢や不自然な話
神話は、中国などにもあるが、今まで事実と関係ない話と思われていた話が遺跡の発掘で覆った事例がある
(愛知県銅鐸館長の話などで知った)
異常に高い年齢は、二倍年歴で自然に説明できる
神武東征の出来レースみたいな話は、九州の日向から九州の河内へ行ったのならばごく自然
日向は、宮崎県や鹿児島県や福岡県のどれかだろう
河内は、北九州市の河内
富美国は、門司には富美国だったという伝承があり、門司である
・三書同根説
日本書紀と古事記はホツマツタエを参考にしている
日本書紀だけでは、古事記だけでは断片的で奇怪な話も、記紀を一緒に読めば普通の話になる
・神代文字があったならば、漢字を取り入れる必要性が無い
意味不明ですねwww
現代の日本では、「漢字」と「ひらがな」と「カタカナ」を使っています
漢字だけよりも、便利です
必要が無いからと言って、便利な物を取り入れない事の理由にはなりません
漢字があって万葉仮名があっての「ひらがな」と「カタカナ」だと言いながらの主張だそうですwww
ならば、「ひらがな」や「カタカナ」は何故取り入れたのだろう不思議!!
(ココ、他記事から色々と貼り付けるゆ^^)
【不確実な説3】
・畿内邪馬台国説 畿内大和説の一部例 「現代では、こうだから。」
平安時代辺りは京都に、奈良時代は奈良に都が在ったのは確実である
そのことを引き合いに、「昔からずっと在った。」や「現代や京都や奈良の時と同じ様に説明できる。」という因果関係が崩壊した言い張りがある
屁理屈をこねて、遺物の年代を捏造した人物並みにおかしい
渡来無くして倭人は無く、九州の方が弥生文化が早く始まり、記紀が説明できるが、畿内では無理なのにただひたすら言い張るだけである
現代や京都や奈良がどうとかでは無く、現実的・考古学に説明出来ないと説明になっていないし、矛盾したら説明になっていない
九州・雲伯よりも、畿内の方が弥生時代~飛鳥時代で文化の伝来が早いとも言う
ごく一部の一例だけを切り取り、言い張ってても意味が無い
「現代的にみて、東京都が都だから弥生時代も都だった。」とも言えてしまうw
昔は「大阪・奈良・京都」に都が在ってて、今は「東京都」に在るという歴史的な「都の移動」からしても、「都が在った=弥生時代も都」は何の根拠にも成り得ない
こんなこと、小中学生でも簡単に理解できる
・「現代的にみて、九州に人口が多いわけが無い」((笑)(笑)(笑)*´∀`*)
現代と弥生時代は全然状況が違う(笑)藁s(笑)(笑)(笑)
そもそも、現代でも大阪都・京都府は人口が多いが、それ以外の「奈良県周辺」は田舎
奈良県も田舎
京都大学・奈良の大学以外は「弥生時代の九州は人口が少ないハズ。」などという旨の屁理屈を言わないw
京都大学・奈良の大学でも一部に過ぎないw
飛行機を使う様になる時代までは、九州は日本と海外の玄関口として機能していた
近畿地方に人口が多いのは、京都・奈良に都が在った事と、商いの大都市大阪のおかげ
人口が増えるまでの、明らかな歴史的背景が伺える
「邪馬台国大研究」にもあって思ったが、九州・雲伯の地方を越えて近畿地方に人口が集まる事は無い
「日本の中心地」なんて意識する時代じゃないwwwww
倭人は、「日本列島地図」の様な物を持っていたのだろうかw
どんな歴史的背景があって、わざわざに、冬でも栽培できる土地から離れるのだろうかwww
天才「径100歩が直径なら、尺度で済む。」
済むかどうかは問題じゃないw
史実は現代人が創作する物ではないwww
・「九州説の背景として、九州の人は東京都に反発してることと、九州の人は以外にも保守派が多いのだろう。」
キチガイ過ぎるwwwwww
奈良県は東京都と関係ないwwwどうして、反発してるとか保守派とかわかるwww
だいたい、この人物は、何にでも「九州の人」と言いたがるw
そして何よりも、「九州説VS近畿説」は、「東京大学VS京都大学」で始まったんですけどwwwwwwwwwwww
※近畿説は、邪馬台国説も大和起源説も自由過ぎる
まだ、無い物を「有る」、既に有る物を「無い」と言い張るだけなら誰にでも簡単にできる
何事も、大前提が狂ってる
遺物の年代に文献の年代が合わないと思ったら、文献の年代を自由に変える
その逆もある
二倍年歴はおかしくは無いが、三倍年歴は矛盾が出る
一部だけに言えても、全体的にみて矛盾したら意味が無い
土偶の時代が終わって、およそ銅鐸の時代になっても、王都にふさわしい「武器」「住居跡」が無い
「少しでもあればいい。」「矛盾なんか関係ない。」は非論理的である
墓製や銅鐸からして、文化圏は圧倒的に違う
とても、九州から奈良大和へ東征したとは言えない
ならば、墓が“似てきた”古墳時代はどうかと言うと、そうなのかも(東征等が)知れない
だが、記紀と年代が矛盾する
同じ手法で他の人物にも言える根拠で、「ここからここまでの天皇は創作された。」とか言い出す
とても、一概には言えない話である
「ヤマト王権の起源を近畿地方にできればいい。」は勝手に言い張ってればいいwww
しまいには、何も言えないからと、相手の持論・反論を捏造しだすw
だから、話し合いが成立しないw
国からの補助金などが欲しい者がやっているだけらしい
公務員や大学教授・公共放送+地元くらいしかやらない
民間では、地元や好きな学者・恩師が居るでも無い限りでは近畿説はしない
原発などと変わらない
宮内庁的なのが原因でもあるのか
興味が無い一般人は言う「お国は、ヤマト王権が近畿地方に有った事にしてたいんだろ。」と
・「今、汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮綬せしむ。」(帯方の太守は、太守劉夏?)
「皆、装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」 (汝は、卑弥呼?)
「正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、」
景初2年12月の、「親魏倭王 卑弥呼」の金印は、帯方郡の太守劉夏に渡されている(たぶんw)
景初2年12月の、詣書の物は難升米・牛利が持ち帰り到っている
正始元年の贈り物は、別人が持って来ており、景初2年のとは別ものである
【感想】
言い張るだけなら誰にでも簡単にできる
捏造したり、「~だと思うから~に違いないんだ。」と言い張るだけなら誰にでも簡単にできる
「現代の辞書を引き合いにして、矛盾していてもお構いなし」は、誰にでも簡単にできる
「きっと、中国の影響を受けたんだよ。」や「きっと、ユダヤの影響を受けたんだよ。」や「きっと、朝鮮の影響を受けたんだよ。」や「きっと、奈良時代の影響を受けたんだよ。」は誰にでも簡単に言い張れるwww
「思う」や「好き」だけの根拠は、感情論
「タイムマシーンを使ったからわかる。」や「超能力でわかる。」は(´・ω・)
天才の面白発言や頭おかしいアピール者な発言は言い出したらきりがないwww
私も含め、どんなに説得力があるようにみえても、誰しもが天才な事を言っているwww
天才は、言い張るだけや知ったか振りなら上等であり、会話を永遠ループにさせるのも上等なので、失笑されるwwwww
物事の根本的な部分、一般常識な部分が理解できない=天才
故に、天才と常人では会話が成り立たないwwwww
言ってる説は一つでは無いのに、まるで一つの事しか言ってないかのように捏造
「かも知れない。」と、可能性を言ってるのに、言い切ってると言い張って天才的な批判
ただ、ダメダメな読み間違い・見落とし・勘違いのある説なら笑えるが、「きっと、こうだと思う。」というだけの無根拠な感情論でありながら、他人の人格を“必死”に批判しているのは気持ちが悪いわwwww 怖いわw
しかも、好きな歴史上の人物や好きな学者の批判をされているとき「人格否定はダメ。」と、怒るのに、自分は平気で嫌いな人物の批判をするのは(失笑・笑)
「天皇に空白期間は無い。」(失笑) 「二倍年歴は春夏秋冬。」(大爆笑)
どこの電波を受信して、誰と何を話すつもりで言ったかは知らないが、スレタイの本題に全く触れない上、言って無い事を言った言った事を言ってないと捏造しながら、華麗に揚げ足取り雑談に勤しむも「思う」のみの無根拠感情論wwwwww
wwドwwゥwwwww(ΦωΦ)フフフ…wwww腹痛ぇえええええええええええええwwwwwwwwwww
関係ない㌔、計算が合わない場合に「何も全く知らない者が計算したのが間違い」では無く、「元ネタが間違い」って言うのが居たら根拠は何だろうね^^
科学 学問
学問は推論です、現代科学と文献等による推論です 現状からみるものです
「科学的絶対な証拠がある。」や「証拠が無くても超能力で判明する。」などという言い張りは、非科学です
正確な過去へ遡って、観て来たのなら別ですがね^^
魏志は邪馬台国論争の発端であるのに、「魏志は間違いだから邪馬台国はココだ!!」と言う因果関係が崩壊している説を一め、様々な感情論は大歓迎でしゅ(^Д^)
邪馬台国=大分県&宮崎県説の論理的な証明くらい小中学生でも簡単にできます
今まで無かったのは、考古学者の意図的な妨害があったからかも知れませんw
会費を払わないと読めない論文、煽り立てたタイトルで売り出す本
リボンちゃん「お金稼ぎでちゅわね。」ハム太郎「うぎゃあああああ腕がちぎれたのだぁあああ。」
天才は、天界の人です
天才を天へ帰してあげるのが、地上に住む常人の優しさでは無いでしょうか
さようなら(´ー`)/~~ ヾ(〃゚ω゚)ノタダィマ☆ お帰りなさぁぃ(。・Д・。)ノ
※完成は、数十年後になります
ホラ吹き様とかいう珍獣が渋りおるのです(`・ω・´)
上記の【根拠と説明】は、過去記事を整理してから消そう