日出城天守台を楽しんだ後オフ会一行は本丸の南側から海岸沿いを西南へ歩きます
「日出の殿様 木下様は 城の下まで船が着く」と江戸時代に歌われたとありますがこの城址から海を眺めると本当にそれがよく分かり、そして在りし日に海城であった日出城が目に浮かびます
少しの距離ですが海岸遊歩道の上にある本丸石垣に沿って行くことも出来ます。
社の下の辺りには人柱祠があります
昭和35(1960)年の城下海岸の遊歩道を工事中、日出城の西南部から木棺と人骨が発見されました。木棺は岩盤をくりぬいた穴におさめられていて、棺の上には大石が乗せられて石垣の基盤となっていたのです。木棺の中からは老武士らしき遺体の人骨とともに陶製の翁像が発見され、大石の上からは兜の金具などが発見されました。大分大学の教授や文化財関係者の調査で築城当時の人柱であろうと推定され、築城工事は城の西南部の地盤が弱くて難工事であったと伝えられていることや方角が城の裏鬼門にあたることから人柱を立てたのではないかと考えられているそうです。現在も人柱祠には香の煙と花が絶えないということです。
日本の城郭にはたくさん人柱伝説がありますが、実際に人柱だと考えられる木棺と人骨が発見されたことはかなり貴重ですよね
説明板と祠を見て私は色んな可能性について思いを馳せました
海岸沿いの西南部から空堀のある西側に移動します。
3万石の木下家でしたが立派な石垣です
空堀の左手に先程の鬼門櫓が見えます
日出城大手土橋が見えて来ました。土橋にはトンネルが掘られています…もちろん後世に掘られたものですが
トンネルを通り土橋向こう側の空堀から階段で再び本丸北側に戻ったら道を挟んで本丸の向かい側にある二の丸館で休憩しました
ここは軽食が食べられて土産品も販売する観光案内所です。自販機やトイレも駐車場も完備しています
二の丸館では日出城の資料がありますから忘れず貰いましょうね
ちなみに写真右側の鬼門櫓資料は鬼門櫓の中で貰えますよ
休憩してオフ会一行はクルマで20分程で着く次の目的地の杵築城へと向かいます
杵築城
室町時代初期に大友氏一族の木付氏によって八坂川の河口にある断崖の台山に築かれた。三方が海と川で囲まれた天然の要害である。連郭式の平山城で台山は空堀により4区画に区切られていた。
当初は台山山城に主郭部が設けられたが慶長元年(1596年)の震災と慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため台山北麓に居館が移され正保2年(1645年)以降は松平氏により山上の郭群が廃止されている。
戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となった。また、九州の関ヶ原「石垣原の戦い」の前哨戦では大友軍の猛攻に落城寸前だったが黒田官兵衛の援軍の報により大友軍は撤退した。川沿いの黒田時代の石垣には神籠石が多量に使用されている。
現在の城跡は城山公園として整備され山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。
オフ会一行は山頂の城山公園駐車場でクルマを駐車して杵築城模擬天守へと歩きます
模擬天守が見えてきましたコンクリート製の模擬とはいえ天守があるとやっぱり嬉しくなりますよね
杵築城から見た干潮時の八坂川河口です。
石田三成の兄の石田正澄の兜です
杵築城では甲冑体験が出来ますのでメンバーのうち3人の方にハリきって着用して頂きました〜
甲冑体験を一番に希望したロコつぴ☆さんノリノリでしたね〜
甲冑姿がかな〜りハマってたギザ⑩さん
写真ではなかなか伝わりませんから甲冑体験を楽しむ模様も動画でどうぞ
甲冑体験が終わったら天守内の他の展示品も見てまわります
そして模擬天守最上階から見た南台武家屋敷の方角です。断崖絶壁の台地にあるのが分かります
この写真は後ほど杵築城から杵築城下町に移動する時に寄り道をしてその断崖絶壁である岸壁を間近で見た時の写真です。
この杵築城周辺の地質や岸壁ってどこかの城跡によく似てませんか
そうです同じ大分県の臼杵城です
この城もかつては海城でした
その臼杵城の写真です
明治時代になって城の周りは埋め立てられてしまいましたが、当時は臼杵湾に浮かぶ丹生島に建てられた海城でしたので岸壁も波に削られたような形になっています今は住宅地ですが、きっと昔は波が打ち寄せたであろう当時の岸壁辺りのここからの角度で杵築城天守の写真を撮るためです
天守があった時代はこんな感じで見えてたのでしょうかね
(この合成写真…作るのにかなり時間がかかってしまいました)