それでは駐車場から出発して本日二つ目の攻城先の益富城に向かいます〜
5〜10分ほどで益富城駐車場に到着、クルマを降りてすぐに城内へ。
益富城
皆さん、豊臣秀吉の一夜城伝説と聞くとどこの城が思い浮かびますか
秀吉の出世の足がかりになった墨俣城
関東の北条氏を攻めた時の石垣山城
実は秀吉の一夜城伝説はさらにもう一つありまして…それが益富城なんですね〜
どんな伝説かというと…
秀吉が九州の島津氏を攻めるため九州征伐に来た時の話です。
その時この城は島津氏に味方していた秋月氏の秋月種実(あきづきたねざね)という人のお城でした。
秀吉軍が秋月氏家臣が守る岩石城をわずか1日で陥落させると、種実は慌てて益富城を破壊し近くの古処山城へ退却しましたそして翌日の夜、古処山城から見下ろすと益富城下は火の海に…
が、しかし夜が明けると益富城は見事に修復されていたという伝説です
ですがこれ…本当は火の海にはなっておらず、秀吉が村人にかがり火を焚かせたもので、城は秀吉が地元の人達に戸や障子などを集めさせてそれに和紙を貼り城壁に並べたものでした
さらには益富城には十分な水が溜まっているように見せかけるため白米を滝の如く流させたという伝説までも残っています
この秀吉のトリックにすっかり騙された秋月氏は戦意喪失して降伏。その証として秋月種実は剃髪して楢柴肩衝という非常に有名な茶器と刀と自分の娘を秀吉に献上し、宮崎県日向高鍋に流され小大名へと転落するも、なんとか存続は許されました。
なお、この作戦に協力した住人達に秀吉は愛用の陣羽織と刀を与え年貢を免除しました。
そんな伝説がある益富城は後年に黒田家の城になりました。黒田家は隣国の細川家との国境を守るために六つの城を設けましたが、益富城もその黒田六端城の一つとして近世城郭に改修されました。
その時の城主は後藤又兵衛基次。しかし、又兵衛は黒田家を勝手に辞めて出て行き、大坂の陣に参加しましたのでその後の益富城は母里太兵衛友信が城主となりました。
大手門近くの畝状竪堀を観るメンバーこの辺の畝状竪堀は見やすく分かりやすかったですね
大手門から入り城内を見渡すティファニーさんとあるてさん。
本丸の案内板前で城郭などを専門とする学芸員が益富城を説明したときの解説動画を私、織田が参加者の皆さんに観てもらっている写真です。
白米を滝のごとく流させたという伝説の白米流し跡を見て色々と想像を膨らませて語り合う皆さん『ここから滝のように見えるよう流すにはいったいどれだけの量の米が必要なんやろ』
『そんな大量の米を流したのなら一粒くらい米が見つかるかもね〜』
歴史ある場所に実際に行ってみてワイワイ語り合うこともオフ会の醍醐味ですよね
ちなみにこの方角の先に秋月氏が退却した古処山城があります
伝説の真偽はともかく益富と古処山は互いに見える位置にあるのはやはり興味深いですね
後藤又兵衛の顔出し看板を写すもきちさん。ちょっと見難いですが看板にあるサインは大河ドラマ『真田丸』で後藤又兵衛役だった哀川翔さんのサインです
横堀を撮影してご満悦のもきちさん。後ほどクルマの中で分かった衝撃的だったこと…実はもきちさんと私織田は中学校時代に地元が同じで先輩後輩の間柄だと分かりました…イヤ、世の中ホント狭いです