本日の良かったこと

本当に何気ない会話の中で、

 

その人の強い思いがかいま見えて

 

感情がふさぶられたことはありますか。

 

たまたまあの時

 

ひょんなことから

 

たまたま生理になる前日で体調が思わしくなく

 

メンタルもきっと通常とは違っていた。

 

そんなときだったから

 

おだんごの心に引っかかったのか。

 

きっとおだんごが昔々に封印したきもちに少しのほころびが出来て

 

本当はこうだったんだよって

 

少しずつこぼれ出た感情に気が付かないふりをしてきて

 

ざざーっと風が吹いて

 

その感情のしずくが飛んできた。

 

みたいな感じ?

 

それは、

 

なんてことない会話でした。

 

子供達の教育資金にお金がかかるね。

 

とかそんな話。

 

そんな中、

 

子供達が大きくなったら、自分の老後だよね。

 

とか。

 

そんなところから、

 

自分は、元気なうちに山とか登って迷惑かける前にいなくなりたい。

 

と。

 

自分自身の祖父母の在宅介護が大変だったのをみて、

 

自分は、あぁはなりたくない

 

と。

 

そんな考え方もあるんだな。

 

そんな程度のお話。

 

でもね、なんか聞き流せなかったな。

 

だって、

 

水は苦しいから雪山なら、、、。

 

なんて言い出すんですもの。

 

具体的な方法を考えるのはやめて欲しい。

 

小さな小さな種かもしれないけれど。

 

人間精神状態がいつも良いとは限らなくて、

 

弱ったときに

 

小さな小さな種だったはずか、

 

大きな目の前の本当になってしまうかもしれないことを

 

知っているから。

 

おだんごは、昔々に

 

パートナーだった人に

 

〇にたいと言われたことがあります。

 

直接的ではありませんが。

 

とてもかなしかったし

 

とても腹が立った。

 

あの頃は若くて理解できなかったけど

 

今なら彼の親が

 

泣きながら

 

ごめんね。

 

って言った気持ちもわかる。

 

それからいろいろありまして、

 

すっかり立ち直って別のパートナーに出会い

 

今に至りますが、

 

ここらへんの部分に触れるのは未だに苦手かな。

 

なぜ、この話につながるかというと、、、。

 

残された人の悲しみにも目を向けて欲しいと。

 

いってやりたかったからかな。

 

 

ただ一方で、

 

生死感は人それぞれだし、

 

何が自分にとって幸せかは他人にわからないし。

 

生きる自由死ぬ自由はその人のものかもしれない。

 

なんて、ことをちょっと考えてみたりしました。

 

たぶん、あの時の気持ちがまだ消化され切っていなくて、

 

時々ひょんなことから

 

体調とかメンタルとかの条件が合わさって

 

顔を出したんだなと思います。

 

こういうことがあると

 

おだんごは、おだんごの不器用さ?

 

どうしようもない弱さ?

 

を大事にしてあげなきゃな。

 

と改めて思うのです。

 

そして、同じ話題になったときには、

 

ちゃんと生きててください。

 

と言えるようになりたい。

 

はっきりと強い口調で言えるようになりたい。

 

冗談だよ。

 

って言われてもね。

 

そんな気づきのあった日でした。

 

 

皆様も本日、気持ちよく眠れますようにラブラブ