なぜベルギーにフランス料理修行にいったのか? | ambiance

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中目黒 フレンチレストラン「アンビアンス」から

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ある日、「地球の歩き方 ベルギー」という本を見ていたら、ミシュランの星付レストランの比率が高いと知り、ベルギーへ行きたいという気持ちが高ぶりました。


美食の都ベルギー星付きで一生懸命、修行したシェフ大平の「アンビアンス」

(ナミュールの運河)

そして東京のベルギー大使館に出向いて交渉。


同国南東部のナミュールで老舗ホテルを営む、学校を仲介してもらいました。


欧州の精鋭が集う伝統校、当時三ツ星のコム・シェ・スワのお嬢さんや、クロード・デュポンビラ・ロレーヌの息子などが、同校の出身であります。


美食の都ベルギー星付きで一生懸命、修行したシェフ大平の「アンビアンス」
(ブリュッセル グランドプラス)


初の日本人として勇んで入学したましたが、少しかじっていたフランス語は全く通じません。


おまけにこの街、日本人が住んでいないことが判明しまさに陸の孤島、日本の首都をピョンヤンと答える人もいるくらいでした。


衛生学やワイン醸造学から法学、数学など科目は多岐にわたり苦戦しました。


それでも猛勉強を続け、首都ブリュッセルの有名店での実習にこぎつけました。


辞書を片手に地道に働いていると、オーナーらがその姿勢を評価、卒業後の就職先に誘ってくれました。

はじめて入ったレストランは、ベルギー最優秀、ヨーロッパコンクール2位に選ばれたソムリエや星つきレストランのコックが顔をそろえる店。


最初は、朝8時から午前2時まで皿洗いや材料運びだけ。


認めてもらえるまでは、名前も呼んでもらえません。


名も許されぬ修羅と言ったところでしょうか。


ベルギー人の先輩は、言いました。「仕事は、目で盗むもの。だから見習いって言うんだぞ!」

そこからが私の本当の意味での料理道の始まりでございます。


修行時代は、皿洗いから、掃除、盛り付けも猛ダッシュでしないと背後から怒鳴り声とフライパンが飛んできます。

まさにフットワークと根性、そして体力を持っていないとやっていけません。

仕事が真夜中の12時に終われば早いほうで、皆でブラッスリーやビアバーに飲みに行き、こんなに仕事も遊びも勉強も充実している時はない、まさに「belle epoque (美しき時代)」でした。


最初にフランス料理の修業を始めたお店が、そのような感じだったので、当時の私にとっては、 盆と正月が一緒に来た感じでした。


「Volente de fer (鉄の意志)」
ベルギー修行時代、最初に教えてもらったフランス語です。