「マネージャーお疲れ様です。
お先失礼いたします。」


夜、一人一人部下たちが退勤していく。

「お疲れ様ー。今日もありがとね」


この挨拶は私の日課だ。

給与が払われてるんだから、上司の指示通りに働いて当たり前。そんな時代はとうに過ぎ去った。

多様性。
心理的安全性。

現場レベルでの実装はまだまだだが、これらの言葉は一般通念化し始めている。

私は、この時代が好きだ。
昔なんかよりも、ずっと。









冷え切ったロッカー室で、私服に着替える。

気に入ってはいない、かといって、不便でもない、通勤用の服。
カシミアウール、白のVネックニットに、黒の光沢感のあるプリーツスカート。
裏起毛の黒タイツ。
ブーツは数年前のボーナスで買った、セレクトショップオリジナルのカウレザーのサイドゴアブーツ。



今日は勤務時間内にシフトの作成が終わらなかった。
パソコンの入った重いショルダーバッグを手に取る。
肩にぐっと食い込むこの重みは、私が背負っている責任そのものみたいだ。
ふぅ、と小さく息が漏れる。






静かにロッカーを閉じ、今朝と同じ通勤経路を歩く。





気のせいだよ。
きっと。
今朝感じた違和感は。







今日は退勤が遅かったことで、電車も空いている。

黒のショップコートに身を包み、551の袋と缶ビールを握りしめ、座席に身を埋めるサラリーマンの隣に、腰を下ろした。




1時間ほど電車に揺られる。
スマートフォンの画面を見つめ、SNSをスクロールする。
見つめているが、見てはいない。
今私の目に映る情報は、明日にはきっと覚えていないだろう。

少し、指先が冷えるな。


隣のサラリーマンは、551を抱きしめるようにすやすやと眠り、頭を垂れていた。









私には夫がいる。
大学卒業後に就職した会社でずっと勤め続け、ギャンブルも女遊びもしない、少し無口で几帳面で真面目な夫。
何も間違っていない人。

私には仕事がある。
真面目にコツコツ働いてきた結果、社内外の賞を取り、今の管理職のポストにたどり着いた。
部下たちは素直で、チーム内でのいざこざはあるが、それも許容範囲内。










今日は家までの道のりが、やけに長く感じた。













なにを、不満だなんて。
これ以上、私は何が欲しいっていうのか。