社会人になって十八年目、一念発起して転職し、母校で教職になって八年目、一貫担任(担任するクラスは変われど中高6年間その学年と関わる)の五年目、
来年は一貫ラストの高三担任、一貫担任やり切れたら一人前と教務主任も言っていた。
最近は生徒の殆どからマッスーと呼ばれている。
自分の中高時代も、厳しい先生は苗字で、比較的親しみやすい先生はあだ名だったので、自分は比較的親しまれているのだと思う事にしている、
父母面談初日、四限がおわり、生徒達の午後休の為多少浮かれながらの清掃も終わり掛け、用具掛けに塵取りなどをしまったりしている。
「マッスー さいなら」「マッスー先生また明日」
隣のクラスは一足先に終わったらしい、
マッスーも親しまれてる感じがして良いが、ここ最近名前を呼ばれた記憶がない、病院も、「156番さーん」と番号呼び出し制、妻も「貴方」やら子供に何か言う時の「お父さん(も何か言いなさい)」多分盆休みに西尾の実家に家族で帰省した時両親から呼ばれたのが最後だ
そんな事を考えながら窓の外を眺める
細かく見れば、現役時代とはかなり変わってはいるものの、古い門前町のゆるゆるとした緩やかな空気は昔と大差ない
「学校ってのは、卒業生がいつでも12や18に戻れる場所、私は70でもあり同時に45でも、32でもあるのだよ」二年前に嘱託も退任された元担任の尾上先生が言っていた。
最近その言葉の意味が解ってきた
一年、三年、六年、どの歯車で噛み合うかわからない生徒それぞれの「マッスー」として僕は在り、「僕」は無くなってゆくのだろう。
いかん、面談前にセンチになってきた。
「あれ? もしかしてユウ君? 増田優一郎君よね」 名前どころかフルネームで呼びかけられた。
辞令貰った時以来?
振り向くと、
面談や懇親会で目利きになった為解るが、仕立ても生地も良い、百貨店の2階特撰ブティック感満載なワンピースと、分かり易いマークが表面に載っていないが革質と縫製でぶん殴る系フランスブランドのカバン(三桁万円)、腕時計はトータルバランス的には微妙だが、国産の古い男モノなアラフォー美人女性が微笑んでいた。
誰だっけ?
あれ ? 笑顔やあの時計は記憶にあるぞ
「絵里さん? 」最初は疑問形で、
女性が優しく微笑む、
「絵里さんだー 」 久しくあげてないような上擦った声がでる。
逢沢絵里さん、大学の同級生、初めて付き合った女性、西尾から通うのは大学は遠い、と(遠いの自体は本当だが)三年時に嘘言って友人の下宿先に籍だけ移動させ、絵里さんが借りていた本山のマンションに転がりこんで同棲した、当時の僕には生涯を共に過ごすんだろうと、疑いもしていなかった女性、
四年時の、御両親の御不幸からの事後処理の絵里さんの休学だのなんだので、自然では無いが、二人の縁は消滅し、そうは成らなかった
「まだその時計使ってるんだー」彼シャツならぬ彼時計共有が当時流行っていてカテキョー先の時計屋で先生割引してもらったゴツい時計が絵里さんの腕にはまだ輝いていた。
「夢叶えたんだね、立派に先生してるし」
「一回普通に就職したけどな」 20年弱の空白を埋めるように話が弾む、
「増田先生?」 誰だよ無粋な奴だなぁ 、現実に半歩引き戻される。
顔を向けると隣のクラスの岡田少年であった、
担任こそしていないが、受け持った事はある、確か家は津島の病院で、クイ研、この夏ウチのクラスの鈴木と組んでテレビ局が開催ってる大会の地方決勝まで行ったとか言う話を聞いたような
あれ? 呼び方に違和感を感じるぞ、何度も挨拶されたことあるがマッスーやマッスー先生呼びだった筈だが、
「ウチのHAHAと何を?」
HAHA? はは? は? 母? 絵里さん?
HAHAが母、絵里さんを指すことを脳が解すまでの二秒間で、ピンライトだった舞台に照明灯り、視野が広がる、登場人物として
訝しげいやこれは不信感だな、不信感を隠そうともしない岡田少年と
掃除を終えて鞄を肩にかけ、入口で佇む、ニヨニヨと少し頰を赤くした自クラスの女生徒2名が追加された。
一度でもそう言う関係になった男女間の距離感はオトナなら一目でわかると言われている。
真面目な当校の生徒はそっち方面は「大学入ってから」が殆どだが、普通の先生と、普通の生徒の母親の距離感にしてはおかしいのは三人ともわかるらしい。
あれ? これ拙いのではなかろうか、
残りの半歩どころか2歩も3歩も現実とその先に連れてかれてた
チラリと絵里さんを見ると鞄をかけた左腕の肘を右手でしきりに摩っている
かなり動揺した時の癖だ