Ⅱ. 信長公の寺社仏閣対応について

 

②信長公の寺院に対する対応

 

今回は少し趣を変えて信長公の京屋敷の編成と、宿所とした寺院の位置関係から信長公の思考について考察します。

 

②-1京の町の状況と宿所としての寺院について

 

京の市街地は応仁の乱(応仁元年1467~文明9年1477)で一面の焼け野原でした。
その後、町衆(まちしゅう)と呼ばれた都市民たちの手で復興が進められ、戦国時代の京都は市街地が上京(かみぎょう)と下京(しもぎょう)とに二分離し、それぞれにおいて独立した自治が行われていました。両市街地は室町小路(むろまちこうじ)によって連結されています。

 

 

信長公は京に定期的に上洛するようになった永禄11年以降、しばらく京屋敷を構えませんでした。そのため大規模な寺院を選び宿所としています。中でも下京にある法華宗の寺院、妙覚寺と本能寺には幾度となく宿泊しています。

戦国時代は大名が寺院に宿泊することは珍しいことではなかったようです。境内の敷地が広く大勢の供回り衆と供に宿泊できること、周囲の塀がいざというときの防護壁となること、格式の高い寺院だと貴人を迎える客殿があり体裁を保つことができること、なにより信長自身の立ち位置をぼやかすことができることが理由です(詳しくは別の機会にします)。

 

将軍義昭を追放してからは、一時相国寺に宿所を移します。相国寺は二条御所から近く、みんなに信長公の立場をアピールすることが狙いでしょう。ただし御所より上手にあったことと敷地が御所より大きいことは気にしていたかもしれません。

その後二条家の跡地に二条御新造を建て京屋敷を構えます。二条御新造を誠仁親王に献上してからは、再び妙覚寺に移り、妙覚寺も信忠に譲り自身は本能寺を宿所と定めます。

 

ではなぜ法華宗の2院を選んだのでしょうか。 法華宗は商売人の家柄に多いとされている宗派ですが、成り立ちよりも場所で選んだのではないかと推察します。御所から見ると下手にあり、かつ近すぎない場所だということがポイントです。

 

妙覚寺と本能寺跡の碑

 

妙覚寺は、十九世観照院日鐃上人が美濃領主斉藤道三の子息であることがきっかけです。道山の遺言状が現在に伝わり、狩野一派の墓所となっている寺院です。また室町小路から近いことや内裏(天皇)と旧二条城(将軍)との位置関係からみると都合がいい場所です。

 

本能寺は住職だった日承上人と親しかったことと周囲に堀と土塁が巡り、城館のような構えをしていたことが挙げられます。本能寺のHPに詳しく説明があります。

元亀元年(1570)12月には本能寺宛禁制を発給しています。その中の一文に「本能寺は信長の定宿であるから、他の者が寄宿し、付けくわえて寺領の周辺の竹木を伐採するのを禁止する」とあります。

織田信長 本能寺宛禁制朱印状(本能寺HPより)と現在の本能寺

 

天正8年に信長公は村井貞勝に命じて、本能寺に西洞院川を外堀とした整備を譜請します(2012年発掘調査の結果より推定)。

 

信長公が京の宿所とした場所一覧(信長公記より抜粋)

永禄02年1559 初上洛  上京室町小路の裏辻の宿所

永禄11年1568 09月   慧日山東福寺

永禄11年1568 09月   足利義昭入京。本圀寺を仮御所

永禄11年1568 10月   音羽山清水寺

永禄12年1569 01月   ??

永禄12年1569 04月   具足山妙覚寺

永禄12年1569 04月   足利義昭、旧二条城へ

永禄12年1569 10月   ??

永禄13年1570 03月   半井驢庵邸(ながらい ろあん:宮内大輔典薬頭

永禄13年1570 07月   ??

 元号変更

元亀01年1570 08月   法華宗大本山本能寺

元亀01年1570 09月   法華宗大本山本能寺

元亀02年1571 09月   具足山妙覚寺

元亀03年1572 03月   具足山妙覚寺

元亀04年1573 03月   華頂山知恩教院大谷寺(知恩院)

元亀04年1573 07月   足利義昭追放

 元号変更

天正01年1573 11月   具足山妙覚寺

天正02年1574 03月   萬年山相国寺

天正03年1575 03月   萬年山相国寺

天正03年1575 06月   萬年山相国寺

天正03年1575 10月   ??

天正04年1576 04月   二条邸を譲り受け改修工事開始

天正04年1576 11月   具足山妙覚寺

天正05年1577 01月   具足山妙覚寺

天正05年1577 02月   具足山妙覚寺

天正05年1577 03月   具足山妙覚寺

天正05年1577 07月   二条御新造が完成

天正05年1577 11月   二条御新造

天正06年1578 03月   二条御新造

天正06年1578 09月   二条御新造

天正07年1579 02月   二条御新造

天正07年1579 09月   二条御新造

天正07年1579 11月04日二条御新造

天正07年1579 11月05日二条御新造を誠仁親王に献上を打診

天正07年1579 11月16日二条御新造明け渡し。具足山妙覚寺

天正08年1580 02月   具足山妙覚寺

天正08年1580 02月26日信忠に宿所・妙覚寺を譲る。法華宗大本山本能寺

天正09年1581 02月   法華宗大本山本能寺

天正10年1582 06月   法華宗大本山本能寺