その友達の家に行ったときには、

ドアを開けると、

すごくいいにおいがしました。




いいにおいっつーかね。




まぁ、ようはお腹がすいてたわけなんですけど、

コンソメのおいしそうなニオイがしたんです。





うさこ

「おじゃましま~~~す!!」


友達

「どぞどぞ、上がって上がって~」



ハダシで、どかどか、無遠慮に人んちに上がりこんで、

ソファのうえにどぉんと荷物置いて、

自分もどぉん、て座ったら、

友達は、



「なにか飲む?」



って言いながら、お茶をいれてくれました。



わかしたての麦茶でした。

まだ熱くて、こうばしい香りがします。





時計を見ると、2時過ぎ。

午後のやわらかな光が、大きな窓をとおして、私の足元を照らしていました。






テーブルの上においてあった漫画を、

勝手に手にとって、ぱらぱらとめくっていたら、

友達が、



「うさこちゃん、おなか空いてない?」



って言いながら、

白い大きなお皿をふたつ持ってきました。





うさこ

「・・・わあ!」





なんと、友達は、オムライスを作ってくれていたのです。

それも、お約束(?)みたいに、

ケチャップで卵に「うさこ」って名前まで書いてくれてて。




そして、さっきのいいにおいの正体は、

キャベツとベーコンの入ったコンソメスープでした。





うさこ

「わー、これ、つくってくれたの!?

ありがとう、めっちゃ嬉しい!

さっそくいただきまーーーーーす!」




と、言いながら、ぱくりとひとくち。







どこか懐かしい、ほっとする味でした。




ひとりぐらし歴は長いけれど、決して料理は得意ではないはずの友達が、

私が来るからと、

一生懸命、オムライスを作ってくれたんです。





それがとてもとても嬉しくて、ほとんど味なんてわかりませんでした。











ひとが作ってくれたものって、なんだか、安心して食べられるなぁ・・・・。







自分で、レストランや定食屋さんでメニューを選んで食べるときって、

栄養バランスがどうとか、カロリーがどうとか、野菜も摂らなきゃとか、

無意識に、いろいろめんどうくさいことを考えてしまってるんですけど、

だれかが、自分のために作ってくれた食事は、

選択の余地なんてありません。



出されたものをただ、食べるだけの幸せ。



自分で作る料理も、自分の味。

ここで手抜きしようとか、サラダ油は控えめにしておこうとか考えながら作った挙句、

もはやおいしいんだかおいしくないんだか、

わからなくなってることがしばしばあるんですけど(私だけ?)、

だれかが作ってくれた料理は、

ただそこに、気持ちがこもっていて、

食べられる幸せを、すなおに感じられる気がします。

にがてなにんじんのグラッセでも、なんだかおいしい。




友達とふたり、肩をよせあって、おしゃべりしながら食べてたオムライス。







とてもおいしかったです。











たべものって、自分を育ててきてくれたものですよね。

おかあさんが作ってくれた料理のおかげで、大きくなってこれたんだなぁ。



・・・って、あらためて、思いました。







月曜日も火曜日も、会社が休みの日曜日だって、

毎日、おかあさん業は休まず、こどもが大きくなるまで続くのです。

365日、24時間、いつだって、おかあさんはおかあさんで、

いつも一生懸命に、おいしいごはんを作って、育ててくれました。



それはなんと偉大で、そして大変なことでしょう。



なんの苦労もなくごはんが食べられる幸せ。

あたたかい寝床があって、家族がいる幸せ。






たぶんおかあさんは、なにも考えずにあたりまえのことのように、

毎日、ごはんを作ってくれていて、

その手料理を食べることは、

愛情をおなかにおさめるのと、

同じ意味を持っていたんだなぁ、と、



いまにして、あらためて、ほんとうにありがとう、と思いました。