「星降る夜に出掛けよう」京都公演。

私が観劇したのは6月16日。

あれから今日で、ちょうど1か月が経ってしまった。

 

前回のブログに

「ラッキーな事に一般で今日(6/17)の昼公演のチケットも取れたので、今日も雄也くんに会って来ます」

と書いたけど、それは叶わなかった。

なぜなのか。

その理由を書くのを迷ったけど、自分自身のせいでもあるし、戒めと反省の気持ちを、この先もずっと忘れない為にも、ここに書こうと決意した。

 

 

6月16日。

この日の朝は自分が乗る飛行機が定刻通り飛ぶか心配になるくらいの大雨だった。

そんな中、前回のブログにも書いたように、お天気は関係なかったけど、自分が乗るはずの飛行機が2時間くらい遅れるとメールが入った。

そこからは大慌てで変わりの飛行機を予約したりとバタバタだった。

 

ウチの母親は認知症で要介護1。

身の周りの事は、だいたい一人で出来るけど、何でもすぐ忘れてしまう。

今回の京都行きについても「帰って来るのは次の日の夜遅くになってから」と何回も教えてたけど、覚えられなかった。

 

この日は午前中だけの体操中心のデーサービス。

私が飛行機の変更でバタバタしている真っ最中にデーサービスのお迎えが来たので、私は母を見送る余裕も無かった。

 

大雨の中、私は早めに空港に行こうと思い家を出ようとした時、玄関に鍵がかかっていない事に気づいた。

母親が鍵を持っていながら、また鍵をかけずにデーサービスに出掛けたんだなと思った。

デーサービスのお迎えの職員さんに鍵をかけるのを見届けるように頼んでいたのに、それをしてくれなかったんだなと思った。

「京都から戻ったら鍵をかけるのを見てもらうように再度お願いしないと」と思いながら私は「玄関に鍵をかけ」出かけた。

母親が鍵を持たずデーサービスに出掛けたとは夢にも思わずに。

 

 

前回のブログにも書いた通り私は無事、京都に辿り着き、ちょっと余裕もあったので鴨川の川床の写真を撮ったり、「星降る夜に出掛けよう」も最初から観劇できて、終わった後は祇園をブラブラして懐かしの甘味処を訪ねたり、ホテルに帰ってからは部屋で、まったり晩酌したりして寛いでいた。

私は、その間、つまり16日は母親の様子を伺う為に1回も家に電話をしなかった。

今まで何回も泊りでディズニーに行ったり、JUMPのLiveを観に行ったりしても一人で大丈夫だったので全く心配していなかった。

 

次の日。

17日はホテルのチェックアウトまで部屋でブログを書いたり、ゆっくり過ごしていて、10時頃だったか?やっと自宅に電話をかけてみた。

ところが母は電話に出ない。

最初はトイレに行っているのか?洗濯物を干しにベランダに出ているのか?くらいにしか思っていなかった。

ところが30分たっても1時間たっても母親は電話に出ない。

「これはただ事じゃない」と心配になり同じ区に住む母親の姉の家に電話をかけた。

電話は通じたけど、ちょうど家に伯母(母親の姉)しか居なくて、従姉(伯母の娘)は出掛けているので様子を見に行けないとの事だった。

次に母親のケアマネージャーに電話をかけたけど土曜日だった事もあって連絡がつかず「どうしよう?」と考えに考えた末、思い出したのが母親が前に通ってた1日滞在できるデーサービス。

そこは土曜日もやっているから、藁をも掴む思いで電話をかけ理由を話したところ、すぐに様子を見に行ってもらえる事になった。

 

程なくして様子を見に行ってくれたデーサービスのセンター長さんから連絡が来た。

母は「居た」と。

その事実を聞いてホッとしたのも束の間、衝撃の事実を知らされた。

母は庭(外)のベンチに座っていたと。

そこで私は全てを悟った。

母は16日の昼(13時頃)から17日の12時頃まで、つまりほぼ一日中、外に居たのだと。

 

センター長さんによると恐らく脱水症状を起こしていると。

仙台は前日は雨で暑くなかったけど17日は晴れて、かなり暑かった。

日の出から直射日光を浴びていたのだから熱中症になっていても不思議ではない。

センター長さんの問いかけには何とか反応したとの事でだったけど、反応が鈍く歩くのもままならなかったそう。

「白目をむいていた」とも言われた。

でも、センター長さんが、すぐにスポーツドリンクを与えてくれたお蔭で、母親の容体はだいぶ回復したらしい。

センター長さんがデーサービスに連れて行ってくれて、そこの看護師さんに診てもらい、とりあえず病院に連れて行くほどでも無いだろうって事になった。

家にも入れなかったので当然トイレを使うことも出来ず、母はその場で、そのまま用を足していたので、かなり汚れていた。

デーサービスでお風呂に入って清潔にしてもらい、汚れた服も洗ってもらい、お昼を食べ休んだら、かなり元気になったと聞いて一安心。

私は午後の予定を切り上げ(「星降る夜に出掛けよう」の観劇を諦め)新幹線で仙台に帰るとセンター長さんに告げた。

センター長さんとのやり取りをしていた時は、もうホテルをチェックアウトして京都駅に居たので、ホテルに預けていた荷物を取りに急いでホテルに向かった。

なんで、前日に電話をしなかったのか?

ただただ母親に申し訳なく、泣きながらホテルまで歩いた。

 

新幹線を乗り継ぎ仙台に着いたのは17時頃。

すぐにタクシーでデーサービスに向かった。

デーサービスで保護してもらっていた母親に会った時は、いつも通り、一日野ざらしになっていたとは思えないくらい元気になっていた。

母親を助けてくれたデーサービスのセンター長さんを始めとする職員さん達は命の恩人だ。

 

 

いろんな事が重なって母は死ななかったのだと思う。

冬だったら、きっと凍死してた。

仙台も冬はマイナスまで気温は下がるから。

センター長さんが様子を見に行ってくれたのが、もう数時間遅かったら熱中症で死んでいたかもしれない。

 

私にも悔やまれる点、反省すべき点はいくつもある。

なぜ出掛けるのを玄関まで行って見届けなかったのか?

なぜ鍵を持って行かなかったと疑わなかったのか?

なぜ前日、電話をしなかったのか?

「たられば」だけど、そうして居たら野宿だけは防げだろう。

 

母親も認知症でなければ、お隣のお家を訪ね、電話を借り、伯母の家に助けを求めたと思う。

 

 

「不幸中の幸い」と言っていいのか、母親は今回の一件を覚えていない。

16日、仙台は何時頃まで雨が降っていたのか分からないけど、家の軒先に有るベンチに座っていて、だんだん暗くなり、それでも私は帰らない。

夜中になり、夜が明け、陽が昇り、それでも私は帰らない。

どんな気持ちで私の帰りを待っていたのだと思うと申し訳ない気持ちしかない。

能天気に夜の祇園の街をプラプラしてた自分をぶん殴ってやりたい。

 

 

私の職場の同僚のご主人は小さいながらもデーサービスを経営してるので、同僚は介護に詳しい。

その同僚が言うには送って来て家に入るのを見届けないのは、おかしいと。

ちゃんと家に入るのを見届けるのは介護に携わる者としては当然の事だと。

後日、16日に利用していたデーサービスの責任者の方が謝罪に来た時に尋ねたら、鍵をかけなかった母親に「鍵をかけなくてもいいのか?」と聞いてくれたそう。

でも、母親は「家に家族が居るから大丈夫」と答えたと。

それは紛れもない事実だけど、送って来た時に家に入るのは見てくれなかった。

もし見届けてくれてたら一日中、野ざらしは避けられただろう。

でも、今回は私の責任でもあるので、デーサービスの行いを責める事はしなかった。

 

今回のアクシデントを防げる瞬間は何度も有った。

それを怠った私も悪い。

 

 

母が一日座っていた庭のベンチも目にする度に…それは毎日だけど…申し訳ない気持ちでいっぱいになり胸が痛む。

母は覚えていないけど、どんなに不安だったか?そんなふう想像すると、謝罪の気持ちもあって「優しく接しないといけないなと」心がけていけど……

2日しか持たなかったー(;^_^A

だって何でも、すぐに忘れちゃうんだもん(# ̄З ̄)

また前と同じ日常が戻ってきて私は怒ってばかり(-_-#)

まっ、これが幸せな日常なのかもねf(^_^;

 

 

今後は…大阪公演も泊りで観に行きたいし(*´∀`*)

クリスマス・ディズニーも泊りで行くし(≧ω≦)

年末はJUMPのドームツアーが有るかもしれないし(また福岡にも行きたいし)《*≧∀≦》

泊りで出掛ける時はショートステイを利用するのも視野に入れないとだな( ̄~ ̄;)

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m