アメリカの就職活動は

 

 学歴・経験・人脈

 

だと思います!

 

特にコネは強い!

 

 

ある日、ご近所の奥様から

コミュニティーカレッジの日本語チューターのお話を頂きました。

 

 

コミュニティーカレッジとは

短大のように学位を取ったり

大学に編入出来たり

カルチャーセンターのように

いろいろな事を習ったりできます。

 

 

当時は私の家の比較的近くにあるキャンパスにだけ

日本語のクラスが2つありました。

 

そこの補習用のチューターを探しているとの事で

マネージャーさんにお会いしました。

日本語の先生、お二人を紹介され

直ぐに採用!

 

これも

特に資格とか要らず

”日本人だから・日本語が話せるから”

と言うことで採用されました。

 

多分

接客業をしていたので

敬語とか謙遜語が出来ていたのも良かったのかも?

 

 

日本語のクラスは夕方にあったので

その前の4時間ぐらい

チューターのお部屋で生徒さんが来るのをまちます。

 

時給は当時の最低賃金 550円ぐらい

でも

生徒さんが誰も来なかったら

遊んでいても550円はもらえました(笑)

 

最初は生徒さんもあまり来なかったのですが

日本語のクラスは最高の5単位

なかなか難しいので

そのうち生徒さんが来るようになりました。

 

2つのレベルの違う生徒さん

7,8人

 

クラス数の多い

数学や英語、スペイン語のチューターよりも

延べ数にしたら

たった2クラスの日本語の生徒数が一番多いと

マネージャーから賞をもらうようになりました。

 

そうなると

一人ではさばききれなくなって

もう一人、日本人チューターを雇ってもらう事にしました。

 

 

このチューターは

子供が生まれるまで5年ほど続けました。

 

 

その間に

日本語の先生から

「教科書を読めば教え方が分かる」と言われ

分からなかったところは先生に聞いたり

先生の授業を見学させてもらったりしました。

 

ここで

日本語教師としての修業をさせて頂きました。

 

 

コミュニティーカレッジでは

日本語を全く知らないレベルから

4学期 2年分のクラスがあります。

 

教科書にすると2冊分

 

 

コミカレや大学の一般教養としての第二が国語は

2学期分で良いので

残り2学期分のクラスを取る生徒はぐっと少なくなります。

 

そんな感じで

私の生徒さんは

ほぼ初級の学習者ばかりとなりました。

 

 

下の子が3歳になった時

コミカレの先生から

どーしても復帰して欲しいとお願いされ

丁度、下の子を幼稚園に入れる時期だったので

家から遠かったけど

別のキャンパスで教える事になりました。

 

ここでも

常連の生徒さんが来てくれて

やはり

一人でさばききれなくなって

もう一人雇ってもらう事になりました。

 

 

ここでは1年半ほど教えてえ

別の仕事ができたので辞めました。

 

 

そのうち

 

口コミで日本語を教えて欲しいと言うお話があり

この辺から

個人レッスンの日本語教師になりました。