アメリカの公立中学校で

教壇に立つ機会を得たのに

散々な結果になってしまいました。

 

 

結局、2学期ほどで

このボランティアは辞めて

コミュニティーカレッジのチューターのお仕事を得たので

そちらで日本語教師を始めました。

 

私の仕事は

日本語クラスを取っている生徒さんの補習

クラスが始まる前の4時間の間、待機して

生徒さんが来るのを待ちます。

 

日本語クラスは5単位と

もっとも単位が多いクラスで

それゆえに

難しく時間もかかります。

 

宿題や課題

予習をするために

生徒さんが集まるようになり

2つのレベルの生徒さんが

5人以上

一度に来ると大変でした。

 

 

なぜなら

 

 

同じクラスの生徒さんでも

一緒に同じことをしないのです。

 

出来る生徒さんはどんどん先に進み、待ちません。

出来ない生徒さんはマイペース

最初は同じ問題をやっていたのに

どんどんと差が出て来てしまい

結局、それぞれに教える事になってしまいます。

 

日本語クラスは1学期に2つしかクラスが無く

数学や英語、スペイン語など他の教科より

ずっとクラスが少ないのに

チューターに来た生徒の延べ人数が

私の生徒さんが一番多いと表彰されるほど

たくさんの生徒さんが来るようになりました。

 

こうなると

一人では無理なので

もう一人、チューターを雇って欲しいと

上司にお願いして二人にしてもらいました。

 

日本語の先生が

授業を見学しても良いとおっしゃって下さったので

何度か参加させて頂きました。

 

そこで

 

あの

公立中学校での未熟な経験の敗因が分かった気がしました。

 

 

*****ここらかはあくまでも私の考えです*****

 

その先生は、一方的な授業はしませんでした。

生徒にたくさん質問をし

応えられずにまごまごしている生徒さんは

直ぐに他の生徒に聞くようにしていました。

 

生徒は

いつ自分が指名されるかという緊張感を感じ

スピード感のある授業により

必然的に授業に集中するようになっていました。

 

質問に答えるために

ホワイトボードには

たくさんのイラストが用意されていました。

 

そのイラストは

決して上手ではないのだけど

繰り返し、繰り返し、

同じイラストを使う事により

生徒がだんだんそのイラストの意味を覚えて行きました。

 

先生の授業風景を拝見し、

私が教壇に立つような授業をする時は

生徒の名前を憶えて

なるべく生徒が発言するように

どんどんと質問します。

 

これをしないと

生徒は見てくれません。聞いてくれません。

アメリカンキッズ

自由です。

 

ユーモアも必要です。

冗談を言いながら

面白いエピソードを言いながら

授業をしていきます。

 

 

確か

先生は初級の授業初めは

「今日は何日ですか」

「昨日は…」「明日は…」

と、日にちを言わせることから始めていました。

 

これは

毎回、同じ事から始める事により

日本語を習うスイッチを入れる事になるようです。

 

私は

日本の学校のように

「起立」「礼」を教えて

「お願いします」「ありがとうございました」

を言ってもらうようにしています。

そして

「あいうえお」と五十音をしばらくは

授業の初めに声を出して貰って

日本語のクラスのスイッチを入れるようにしています。

 

 

こんな事をしながら

娘の学校で

中学生と高校生を対象に

3年間

放課後のクラブとして日本語を教えたり

 

コミュニティーカレッジの

高校生用のサマープロブラムなどで

短期で教えたりしました。

 

最近は個人レッスンが多く

私はやはり

個人レッスンの方が好きなのですが

また、グループレッスンもしてみたいなぁと

フツフツと思うようになりました。

 

まだまだ

未熟だなと感じる事があり

もっとチャレンジしてみたいなという思いがあります。

 

徐々にこの辺の学校も通学制になりつつあり

歩いて行ける所に

公立高校があるので

このコロナ禍が収まった頃

また、放課後のクラブで日本語を教えてみようかなと

ちょーっとだけ思っています。