日本語教育能力検定試験を受験するまで

あんまり考えた事なかったけど

試験勉強のために

いろんな日本語教師の方や

お勉強中の方のブログを拝見して

 

あれっ?私って逆パターン?

 

と気づきました。

 

多くの方々は

お勉強してから日本語教師に

と言うパターンのようですが

 

私は

日本語教師に採用されてから勉強をしました。

しかも

海外で。

 

では

どうやって採用されたか?

 

 

1996年に結婚したことにより渡米

 

すっごく広い敷地にポツンと一軒家

(自分の敷地20エーカー

お隣35エーカー

反対側100エーカー以上の空き地

東京ドーム何個分?みたいな)

 

ダディーは仕事で半月留守

家族も友達もいない

 

今みたいにコンピュータもなかったし

もう、かーなり暇でした。

 

その頃、近くの空き地は開発途中で

4エーカー以上というくくりで分譲していました。

なので

ご近所さんも私と同じ新参者

 

このままではいかん!

挨拶に行こう!

 

私、一人で

一軒、一軒、ノックをしてご挨拶に行きました。

そうしないと

それぞれの敷地が広いから

ご近所さんに会えない。

 

少し行ったところに

小さな雑貨屋さんがあって

新しく分譲された所に

雑貨屋さんのオーナーの老夫婦が

新しいお家に住んでいました。

 

その奥様が

最初に私に

近くの中学校で

放課後、日本語を教えてみないかと

お話を持って来てくれました。

 

ボランティアとして

7人の中学生に日本語クラブと言って

放課後、日本語を教えました。

 

 

その時は

どうやって日本語を教えるのか知らなかったし

たった7人の生徒をコントロールできませんでした。

結局、一学期で終わり。

 

すぐに

 

昔からいる別のご近所の奥様が

「コミュニティーカレッジで

日本語のTutorを採用すると言っているから

行ってごらんなさい」

マネージャーさんの名前をくれました。

 

早速、マネージャーさんに会いに行くと

日本語クラスを担当する

二人の先生に紹介して下さり

あっさり採用!

 

 

やっぱり

この国は

 

   コネ(人脈)!!

 

日本語のクラスは週に3日

夕方からだったので

私はお昼から4時間、

クラスが始まる前に

生徒さんが来たら教えると言う感じでした。

 

当時の時給は

最低賃金の550円ぐらい

 

生徒さんが来なかったら

座っているだけでお給料を払って貰えたけど

そのうち

宿題とかやりに

だんだん生徒さんが増えて

常連さんのようになり

他の数学やWriting,スペイン語など

もっとクラスの多い教科のTutorよりも

集客率が良くて

とうとう1位で表彰されるようになりました。

 

とてもじゃないけど

5人以上の生徒さんを一度に見ることができなくて

もう一人Tutorを雇ってくれるように

お願いするほどでした。

 

更にラッキーだったのは

クラスの始まる前に

日本語の先生が

補修をしている私たちの所に来てくれて

日本語の教授法を教えてくれた事。

「クラスにも来ても良いですよ」と見学もさせてもらいました。

 

 

先生に取ったら

私が適当に教えて

生徒さんが混乱するのを避けたかったようです。

 

初心者クラス

JPN101からJPN202までの4クラス

これを

子供が生まれるまでの

約4年間

Tutorとして補修を担当

分からない所は先生に聞いて

自称 日本語教師になりました。

 

子供が生まれてから

お仕事は辞めて専業主婦に

 

そうしたら

 

日本語の先生から

どーーしてもTutorをして欲しいと連絡があり

息子も3歳近くなったので

幼稚園に入れて

またTutorに復帰しました。

 

この辺りから

個人レッスンも

口コミで頼まれるようになり

コミュニティーカレッジの最低賃金よりも

ずっと良い時給でレッスンが出来るので

そちらにシフトしていきました。

 

少し前に

また

コミュニティーカレッジのTutorにと思って

応募したけど

もう、知っている先生はいなくて

全然、雇ってもらえませんでした。

 

やっぱり

コネは大事!