★全国35本のホールツアーが決定した山下達郎デビュー秘話 | 息子をジャニーズに入れたいお母さまへ

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6年ぶりの公演となった前回ホールツアー<Performance 2008-2009>では、全50公演の10万枚強のチケットが、発売日と同時に即日で完売してしまっていた。今回もチケットの入手は困難を極めることだろう。<山下達郎 Performance 2010>は、8月6日(金)厚木市文化会館での公演を皮切りに、10月27日(水)の神奈川県民ホールまでの、全国23都市35本となる。

またホールツアー開催告知の劇場限定CMスポットとして、ライブ映像の一部が、全国34の劇場で初披露されることになっている。5月8日(土)から5月 14日(金)までの1週間の期間限定上映で、しかも現在公開中の映画『てぃだかんかん』上映館の一部のみでの限定上映。35年の長きに渡る活動において、これまでライブ映像を一般では一切公開したことのなかった山下達郎だけに、2010年にしてエポックな取り組みだ。

なお2010年は、デビューから35年、大ヒット曲「RIDE ON TIME」のリリースから30年というメモリアルイヤーにあたる。

<山下達郎 Performance 2010>
8月6日(金)神奈川県厚木市文化会館
8月8日(日)栃木県宇都宮市文化会館
8月11日(水)鳥取県米子コンベンションセンター
8月16日(月)北海道ニトリ文化ホール
8月17日(火)北海道ニトリ文化ホール
8月20日(金)北海道函館市民会館
8月21日(土)青森県青森市文化会館
8月25日(水)福島県郡山市民文化センター 大ホール
8月28日(土)秋田県秋田県民会館
8月29日(日)山形県山形県県民会館
9月2日(木)愛知県名古屋センチュリーホール
9月3日(金)愛知県名古屋センチュリーホール
9月6日(月)新潟県新潟県民会館
9月7日(火)新潟県新潟県民会館
9月10日(金)宮城県東京エレクトロンホール宮城
9月11日(土)宮城県東京エレクトロンホール宮城
9月14日(火)広島県広島ALSOKホール
9月15日(水)広島県広島ALSOKホール
9月18日(土)兵庫県神戸国際会館こくさいホール
9月19日(日)兵庫県神戸国際会館こくさいホール
9月22日(水)滋賀県びわ湖ホール 大ホール
9月24日(金)大分県大分iichikoグランシアタ
9月27日(月)岡山県倉敷市民会館
9月29日(水)東京都NHKホール
10月2日(土)東京都中野サンプラザ
10月3日(日)東京都中野サンプラザ
10月6日(水)鹿児島県鹿児島市民文化第一ホール
10月7日(木)鹿児島県鹿児島市民文化第一ホール
10月12日(火)福岡県福岡サンパレス
10月13日(水)福岡県福岡サンパレス
10月17日(日)埼玉県大宮ソニックシティ
10月18日(月)埼玉県大宮ソニックシティ
10月22日(金)静岡県静岡市民文化会館 大ホール
10月26日(火)神奈川県神奈川県民ホール
10月27日(水)神奈川県神奈川県民ホール


山下 達郎プロフィール
(やました たつろう、1953年2 月4日 - )
作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。東京都立竹早高等学校卒業、明治大学法学部中退。スマイルカンパニー所属。妻は竹内まりやで、彼女のプロデューサーでもある。



1953年、東京都豊島区で生まれ、一人っ子。当時、両親は割烹料理店を経営していた。

1965年、豊島区立高田中学校に入学。中学1年の3学期の時に母の希望(達郎が生まれたので水商売はやめようと言ったと言う)で菓子屋(ヤマザキショップだったという)に転業。一家で練馬区平和台に転居したが、中学校は転校せず。当時は浴びるようにラジオで洋楽を聞き、音楽に目覚める。

1968年、東京都立竹早高等学校に入学。高校時代は、吹奏楽部で打楽器を担当していた。このため、自分の楽曲でもドラムスを叩いていることがある。後に松井証券社長となる松井道夫と交友を持つ。

1972年、明治大学法学部入学。高校時代から天文学の道を目差すも挫折、1浪後に音楽著作権を学ぶために法学部へ進んだが授業にはほとんど出席せず、3カ月で中退。何が何でも音楽で生きていくと決める。

1973年、大貫妙子・村松邦男らと共にシュガー・ベイブを結成。当時の邦楽としては斬新なポップス・サウンドを作り上げていた。しかし、当時は世間一般ではフォークの人気が、またライブスポット界隈ではハードロックの人気が、それぞれ強かった。そのため、広範囲のポピュラリティを獲得できず、さらにエレックレコードの倒産もあって、シングルとアルバムを1枚ずつリリースしただけで解散した。なおこの頃、達郎と大貫妙子は荒井由実のレコーディングにバックコーラスとして参加している。

1976年、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロデビュー。RCAレコードからニューヨーク・ロサンゼルスでレコーディングしている。


人物

音作りに対して非常に厳格で、独自の製作姿勢から「職人」とも称される。
レコーディングの際には、基本的にボーカル・バックコーラスはもちろん、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで全て1人で手掛けており、曲によっては全部1人で演奏していることもある(これは、竹内まりやの作品でも同様である)。
「本を出さない、アリーナ(日本武道館以上の規模の会場)で公演をしない、テレビに出ない」ことを公言している。
落語に造詣が深く、ラジオパーソナリティやステージでのMCの際の軽妙な語り口からも、それが伺える。ちなみに山下は、古今亭志ん生の芸風が好みとのこと。


もっと詳しく知りたい方はWIKIへどうぞ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%8E