ひゃくえむ。

ライター:追佐

ということでこんにちは、リーダーじゃなくなった追佐です(笑)

リーダーは定春くんに交代。そしてしばらくはYoutubeはお休みということで。

早ければ一ヶ月ほどで再開の見通しですがしばしお待ち下さい。

 

それでは本題です。

「ひゃくえむ。」ってなんぞや

魚豊さんと聞けば聞いたことのある方はかなりいらっしゃるのではないでしょうか。

「チ。-地球の運動について-」という漫画で絶賛今話題になっていますね。ちなみに私は読んでないです。(いつか読もう)

文脈から察する通り「ひゃくえむ。」はそんな魚豊さんの作品になります。たしかデビュー作。

ひゃくえむ→100mということで、100m走がテーマの漫画となっております。余談ですが海月くんの専門は100mです。

おおまかなストーリー

ストーリーは主人公の小学生期から始まります。そして高校生編、社会人編と物語が進むざっくり三部構成となっております。

走るのが速かった主人公は、足が速いというだけでアドバンテージになることを知っていました。ですが、「なんのために走るのか。」という問の答えを見つけられず、文字通り迷走していきます。

小学校、高校の部活、そしてプロ選手として。支店が変わる度に主人公は・どう考えていくのか。

というような話になっております。

魅力を語ろう

この作品の魅力は大きく3つあると私は考えています。

 

まず1つ目の魅力は題材が100mであるということ。

100m走というのは現実でも漫画でもほんの一瞬で、実際作中でも一話で100m走りきってしまいます。野球やサッカーのように相手との駆け引きもないし、長い回想を挟む暇もない、一瞬なのです。

でも、一瞬だからこその面白さ。というのがこの漫画には詰まっています。この題材をしっかり生かせていますね…。

 

そして2つ目は、「なんのために走るのか。」というテーマの秀逸さです。

確かに小学校や中学校、高校では足の早い男の子がモテたりしますよね。足が速いというのはそれだけで大きなアドバンテージです。

ですが、足の早い人も「なんのために走るのか。」と問われた時なんと答えるでしょう。

自分のため、誰かのため、はたまた目的は無いという人もいるでしょう。

この作品では主人公以外の選手たちそれぞれが違う目的で100mを走ります。

ときにはその食い違いが起こったりしますが、それもこの作品の魅力と言えるでしょう。

 

最後に3つ目は、他人が見てもおもしろくない。というところです。

これに関してはうまく言葉に表せませんが、100m走を走っている人が、どんな気持ちで走っているのか、その100mには何が詰まっているのか。

スポーツと聞くと胸が踊りますが、案外この100m走というのは他人から見てもあまり面白くないのです。

同じ走る競技でも、200m走やマラソン、リレーとなると見ているこちらも楽しくなりますが、100m走というのは本当に微妙で、こちら側から見ると面白くないのです。

ですが、走っている本人はどうでしょうか。

1分1秒ではなく、コンマ01秒で勝敗が決まってしまう世界。一瞬に一生が詰まっているこの100m走という競技。

あるインタビューで作者の魚豊さんが、

 

他人から「なんでそんなこと本気でやってんの?」といわれてる人はたくさんいるだろうし、僕も他人に対して「なんでそんなこと必死でやってんだ……」と思うことはある。なので、そういう無理解や拒絶反応自体は悪いことじゃなくて、ある種当然の反応だし、時には必要なことだと思います。しかし、例え側から見たらどうでもいいことだとしても、それは自分が愛するものに真剣にならない理由にはならないし、その主観的な熱中こそが、ある種の自分として生まれたことの意味、というような気がする。

 

というふうにおっしゃっていました。

自分自身と向き合うことが結果と直結する世界。それが100m走の、「ひゃくえむ。」の世界なのですね。

▼魚豊さんのインタビュー記事▼

 

 

最後に

ということで今回は「ひゃくえむ。」について語らせていただきました。

次回は先日最終巻の出た「炎炎ノ消防隊」について語っていこうかなと考えております。そちらもよろしくです。m(_ _)m

 

余談ですが、もうすぐ日が変わってしまいます。ギリギリです。間に合ってよかったと。