解剖学者の養老孟司さんと数学者の藤原正彦さんの対談記事を読んだ。



養老さん「他人と話が通じるとか通じないとかいったお題をいただくと、いつも前提から話をはじめてしまうんですが、そもそも僕は「話が通じる」ということのほうが不思議だと思うんです。いったい何が通じているのだろう」ということが昔から気になっていました。
人は、説得などできないんです。だからこそ、社会はあれこれと「形式」をつくるんです。僕は、女房を説得しようと思ったことなんて、ただの一度もありません。考えていることを変えさせようとしたって、どだい無理ですから。だけど、結婚制度というものがあれば、説得などできなくても、嫌でも毎日顔を合わせていないといけなくなる。実は、一緒にい続けること自体が大事なんですね。
だいたい、人を変えようと考えること自体が、どうかしているんです。うちの女房を1センチ動かすのに、僕がいったい何メートル動かなきゃいけないか。考えただけでうんざりしますよ。

藤原さん「アメリカで暮らしていた頃、まわりは誰もかれも、実に論理的に話していました。ところが、全体として聞いてみると、どうにも納得のいかないことを、平気で言っている。
私は、論理ばかりを振り回して焦点のぼけたことを言う人たちを、まとめて「ロジカル・イディオット」、論理的バカと呼んでいました。口には出さなくても、胸の内で名づけて、我慢していたわけです。職場で、どうしても話の通じない相手にいらだったときも、心のなかで一言、ロジカル・イディオットと呼んでおく。名づけてしまえば、ずいぶん気が楽になりますよ。

まさに頭ではわかっていても、ついやってしまうことだ。
私は妻に投資の話をすることがある。インデックス投資がなぜ有利なのか、複利の効果、長期投資の重要性…。自分では論理的に説明しているつもりだ。
しかし、妻はほとんど興味を示さないし、理解しようともしない。
こちらは「正しいことを伝えている」と思っているから、さらに説明を重ねる。けれど、結果はいつも空振りだ。
この記事を読んで、もしかすると相手が悪いのではなく、自分が「論理的バカ」なのではないかと思った。

人は論理だけでは動かない。
投資に限らず、仕事でも家庭でもSNSでも、「正論を言えば相手は変わる」と思ってしまう。でも実際は、相手を変えようとするほど、お互いに疲れるだけなのかもしれない。
養老さんの「一緒にい続けること自体が大事」という言葉が妙に心に残った。
投資を理解してもらおうと必死になるより、お互い好きなことを話しながら普通に暮らしているほうが、よほど幸せなのだろう。

…とは思う。
思うのだが、きっと私はまた妻に「S&P500はね」と話し始めてしまう。
そのたびに、「ロジカル・イディオット(論理的バカ)」という言葉を思い出そうと思うニコニコ