6月4日は天安門事件の日だった。
1989年の出来事だが、当時の私は学生だったにもかかわらず、正直あまり印象に残っていない。
今回も覚えていたのではなく、テレ東のニュースを観て「そういえば」という程度の認識だ。
その数年後の湾岸戦争はよく覚えている。テレビで何度も流れたミサイル映像が強烈だったからだろう。
大学生になってからは友人と中国旅行に行き、北京にも行った。しかし、その時も天安門事件のことは頭の片隅にもなかった。
今思えば、戦車の前にたった一人で立つ男性の映像の方が、ミサイル映像よりもはるかに衝撃的なはずだ。
中国では昔から、自国に都合の悪い情報は徹底的に統制される。
今年も日本のニュース番組を中国で観ると、天安門事件のニュースになるとこのとおり↓
中国国内ではインターネットで検索しても情報は出てこない。
中国製AIのDeepSeekに天安門事件について質問してもこのとおり↓
どうやら「有害な情報」らしい。
もちろん、中国人一人ひとりを見れば、良い人もいれば悪い人もいる。それは日本人も同じだ。
私自身、中国を旅行した時に親切にしてもらった経験もある。
大学にいた中国人留学生は優しくてめちゃくちゃいいヤツだった。
ただ、国の体制や価値観は別の話だ。
歴史上の出来事を自由に語れない社会。都合の悪い事実を検索できない社会。そうした現実を見ると、国と個人は分けて考えなければならないと改めて思う。
歴史は忘れることもある。
しかし、本当に怖いのは忘れることではなく、「忘れさせられること」なのかもしれない。




