さて徒然なるままに。

 

今回は構成は考えずに出てきた言葉をだらっと書いてみるとする

 

 

日々成長、というか学習、というか後悔と反省というか色々感じること考えることがありますね。

何もないということがない。

あるものに気付かないってのもどうなんですかね。

 

自分の欠点を分かっていながら正当化したくなったり

自分の欠点に気付けずに相手のスペースに知らんうちに入ってしまってる人とか

まあ大したことないんだけどたまにめんどい欠点もってたり色々

 

長所ばっかりでも気持ち悪いわけだが。

全てを受け入れて愛せるとか、わたし的にはそれはそれで違う。

 

でも我慢し合うのも違うし。

 

 

そういえば最近嫌悪感に対する深堀をさぼってたなあ。

簡単に分析してしまえるようになりすぎた。

 

習慣化した「何か」は実はだんだん形や方向性を変えていっていることに気付けなかったりする。

目をつぶってまっすぐ歩いているつもりでも結構逸れてるから。

 

 

小学生低学年の時、家から学校まで割とまっすぐな道が長く続いていて、

あまり車も通らなかったからよく、歩道の白線上を目をつぶって歩く練習してた。

あと自転車で手放しで角曲がる練習とか。何の話?

 

急に思い出した。

今、その頃住んでいたところに割と近いのに、思い出の場所めぐりができてないんだよなあ

 

次のお休みは晴れたら出かけるかね。

 

 

友達のライブが良かった。

全身で渾身のライブをする彼女は特別かっこいい。

個性と片付けるのは違和感があるけど、しっかりと自分を表現しているなあと思う。

 

わたしが尊敬してやまない同い年の推しがちょうどインスタの質問に答えていて

 

「あのLIVEの輝きってなにからできてますか」

「ライブまでの生き方やんな、、、多分あれは。ステージの上でできることってほんとに少ないよな。」

 

いやかっこよすぎ、

そして自分も最近少しずつライブの本数が増えてきて

ほんとうにそう思う。

 

その瞬間のためにたくさん準備するけど

これは高校の時バスケ部の先生にもよく言われてたけど

「練習でできへんこと試合で出せるわけない」

 

根性論ではないけど、

結局全ては自分が積み上げてきた行いの結果が今だし

食べたものが身体になります

受け取ったものが思考になって

口に出した言葉が他人から見たわたしを作る

 

因果応報

 

経験は全てを語るし

やるしかないんだなあ、そしてそのやる時ってのは常に今なんだよなあ

 

何が必要か何がしたいかいつごろどんな自分でいたいのか

整理整頓して考えるようにしておけばちゃんとやるべきこと分かるはず

落ち込んだりもやもやしている時って暇持て余してんのよね、、

 

はあ。

でも寝る時間大事なんで、寝ます。

 

取り留めなかったけど自分の中身すっきりした。

 

おやすみなさーい