ocogeは僕が中心となってやってる


中心なんて偉そうだけど1人しかいないだけ






お客様がいないと1ぽっち





1人だと気楽〜


な反面


ねぇねぇこれどう思う?


なんて聞く人がいないから


ちょっと寂しい





何かを考えるときは、自分の中にあるものを


掘り下げていったりするんです。


その中に答えがあるんじゃないかって思うんだけど、


結局1人だからその中に答えを探しに行くのが手っ取り早い。







例えば


自分自信を掘り下げていって、人間ってどう考えるの?








家族ってやつの幸せのどんなことなの?







美味しさのなんなの?








そんな事を考えていると尻尾を追いかける動物ように





クルクル回り始める




本当の自分はどこにいるんだ?


本当の幸せって何なのだ?


本当の美味しいモノってどんなだ?

 




何か本当のモノ、真実や核となるモノが


どこかにあるじゃないかって


そんな風に思っちゃう思考のクセ


本当はそんな核となるモノはどこにも


存在しないのかもしれない


なんて最近思うんです。


でも、それらしいモノはそこいらに


たくさん落ちていてる。





それらは見ようとしないと見えないけど、 


だけどその核となるモノは決して一つではないんだ。


コレだっ!と言うものが見えたり、分かったりしても、





改めて見たり、時間が経ったりすると


それが変わっていることがよくあるんですよこれが。


20年前30年前の価値と今の価値が違うように


本当のことや真実は変わっていく






そのモノ自体が変わっていくのではなくて、


僕たち自身が変わっていっている。







だからその時その時に、


その核となるモノとやらを探していかないと


それには出会えない。




そのコトと自分がどう向き合うか


自分自身がどう感じているか。


そこに本当のモノや本当のコトがある。


実は核となるモノはいつも空洞で


台風の目のようなものなんだろうなぁって思ってる。






そのまわりで吹き荒れている風が起こす出来事が


その核となるモノを変えていく。


その時々でその空洞に当てはまるモノが現れる。


だから中心はいつも空っぽなんだよ。