衛門尉(帯刀・惟成)は、冠を得て(冠を得る・・・五位になること。五位以上の貴族は殿上人と呼ばれる)、三河守(現在の愛知県のあたりを治める国司)になっていた。

「七日だけ夫の任国に下りとうございます」

そう衛門が暇を申し出ると、女君は衛門の旅支度をそろえた。

旅の道具はもちろん、銀の食器を一そろい、化粧道具、そのほかにも細々としたものまでそろえて衛門に贈った。

大納言は三河守にも「女君の父上の七十賀の祝いをする。絹を少し贈ってくれ。」と使者をひとっ走りさせたところ、三河守はすぐに生絹百疋(一疋=約20m、百疋=2km)を大納言に贈った。

衛門は茜に染めた絹を二十疋(400m)、女君に贈った。

 

七十賀の祝いのために、舞い手の子供を探したり、いろいろの準備を命じた。

調度品には贅を尽くし、金のものばかりを多くそろえた。

大納言の父の右大臣は、

「どうしてまた、こんなにしきりに贅沢な祝いをするのだ?」

と聞くこともあったが、

「女君の父上は、もう長くないだろう。生きている間に、存分に嬉しい思いをさせてさしあげなさい。お子様のことは、及ばずながら私が力を貸そう。」

と言って、力をあわせて取り組んだ。

右大臣は、大納言のこういうところが気に入っているからこそいつも可愛がっていた。

 

中納言の七十賀は、十一月十一日に行った。今度は三条邸に中納言一家を招いた。

詳しくは、面倒だから書かない。

いつもの大納言らしく、ただただ豪華で圧倒させられるものだった。

 

 

 * * * * *

 

 

左衛門尉(帯刀)が五位に、とうとう殿上人になりました。

五位以上の貴族は、天皇の住居の清涼殿に入る事ができ、下位貴族とは一線を画します。

北の方に「落窪と帯刀が付き合っています!」と罠にかけられたときには、「六位の小男が!」と罵られたこともありましたが、今は立派な五位、しかも、国司です。

国司は税を取り立てられるのでもうかりますからね。

感謝の思いをこめて、早々と2kmもの絹をよこしました。

 

ちなみに・・・。

こういう祝い事を頻繁に何度もやると、国司はその度に貢ぎ物をしなくてはならなくなります。

国司が貢ぎ物をするということは、国民が搾取されるということです。

右大臣はそのことをたしなめますが、女君への愛情のために、大納言は七十賀を強行します。

もう先が無いと分かるからこそ、できることでもあるのでしょう。


↓きらびやかな祝いも、国民には・・・

大迷惑/Snappers

¥500

Amazon.co.jp

 
ユニコーンのがなかった・・・。