中納言に落窪姫をしかってもらって溜飲が下った北の方だったが、ひと段落つくと縫い物のことが心配になってきた。
(いくら落窪姫とはいえ、あれだけ多くの物を一人では縫えないわね。腹も立てていることだろうし。)
中納言家にどんな事情があろうと、蔵人の少将が舞い手をつとめる臨時祭は待ってくれない。
北の方は自分の女房で、少納言というこざっぱりとして綺麗な者に、落窪姫の手伝いを命じた。
少納言は落窪に入ると、目を真っ赤に泣きはらした落窪姫を見て困ったように問うた。
「さあ、どこを縫いしましょうか。どうしてお休みになってしまわれたのです?北の方があれほど『遅れてはいけない』と念を押されていたというのに。」
「気分が悪かったのです。その縫いかけになっている襞前(ひだまえ)を縫ってくださいな。」
少納言は布地を取り寄せて縫い始めたが、早々に手が止まった。
「やっぱり、気分が良ければ起きてくださいませ。ここの襞の縫い方が分からないのです。」
「今しばらく待ってください。縫い方を教えますから。」
そう言うと、やっとのことで起き出して、ひざでいざって几帳の裏から出て来た。
少将が几帳の裏から覗き見ると、火影に照らされた少納言が見えた。
(すっきりとしてこぎれいだな、なんだこの屋敷にもこんな女房がいるんじゃないか。)
たいがい不遜なことを考えて、少将は姫に視線を移した。
ひどく泣いたので、まだ乾かない涙の後がつやつやと輝いている。
この少納言は珍しく姫に同情的な人だった。
(かわいそうに・・・。)
そんな姫の様子をみて少納言は心を痛めた。
「こんなことを言うと、お世辞のおべっか使いのように思われるかもしれません。かといって言わずにいて、私にこんな気持ちがあることを分かって下さらないのも残念なので、この際言わせていただきますわ。実は私、以前から姫様の優しい気立てを拝見して、今現在お仕えしている方よりもあなたにお仕えしたかったのです。かといって私にも周囲の嫌な目がありますし、世間は煩わしいもので、ご遠慮しているのです。」
少納言がそう言うと、姫は顔を輝かせた。
今まで継母も、義姉妹も、実の父さえも落窪姫にそんな優しい言葉をかけてくれたことがなかった。
「まあ・・・。わたくしに優しくしてくれるんじゃないかと思っていた方すらそんなこと言ってくれなかったのに、嬉しいわ。」
落窪姫が笑顔を見せたのが嬉しかったのか、少納言は言葉を続けた。
「ほんとに、おかしな事でございます。北の方が姫を良く思われないのは、まぁ継母なのでよくあることですが。義理の姉妹の姫君たちまでが、自分から話しかけようともしないなんて、本当に冷たいことです。あなたのような素晴らしい方を、こんな風に寂しく閉じ込めておくなんて本当に惜しいことです。今度は四の君も婿を迎える準備をなさっているようですよ。北の方は、自分の気分次第で勝手なことをなさって。」
「四の君が結婚なさるの。おめでたいことですね。それで、どなたを婿に迎えるのです?」
落窪姫の問いに、少納言は笑顔で答えた。
「左大将のご長男、右近の少将だとか。」
* * * * *
いざる(ゐざる)・・・ひざで歩くこと。
平安女性は着物を何枚も重ね着るので、重くてなかなか立てません。なので、「いざる」という言葉が普通に使われるほど、日常的にひざで歩いていたようです。
姫は重くなるほど着物を着ていないはずなので、「いざる」のは普通の動作として受け入れられていたのですね。
何だかちょっと意地悪なところで止めてみました。
これって、物語を書く人の醍醐味ですよね。
(物語を書くというよりは、訳しているだけですが。)
少納言は、物語には珍しく落窪姫派の人間のようです。
世間体を気にする人なので現実的にはあまり頼りにはなりませんが、自分を良く思ってくれている人が居るというだけで、今の落窪姫には心強いようです。
しかしこの少納言、少将にとってはあまりありがたくない人物のようで・・・。