遊歩道や公園を歩くと、足元の切り株に目が向きます。
最後まで生き、やがては土にかえっていく姿に、いのちの循環を教えてもらっているように思います。
こんにちは
正食千葉教室おちこち,ライフオーガナイザー,メンタルオーガナイザーの向後あき子です.
からだ健やかに,こころ豊かに,暮らしをつなぐ知恵や折々の思いをつづります.
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昨秋の台風の時に、遊歩道の木がたくさん倒れました。
遊歩道を歩くと、その木を伐ったあとの切り株を多く見かけます。
伐ったばかりの切り株は、こんな様子です。
近くの公園には、もっと以前に伐った木の切株があります。
次第に朽ちて、
やがて
土にかえっていきます。
木は土にかえる、
土にかえっていく最後まで生きている、
土にかえって、そしてまた新しいいのちを育む。
木からいのちの循環を教えてもらっているように思います。
実家の父は、晩年まで山の手入れをし、木をとても大切にしていました。
落石で木肌を傷めた木に、こもを巻いて養生していた姿を思い出します。
わが家は、父や祖父が育てた木を多用しました。
築20年になりますが、玄関に入った方がまだ、「木の香りがする」と言います。
家の材として使われる木もまた、生きて呼吸をしているのだと思います。
‘身土不二(しんどふじ=身と土は二つならず)‘という言葉は、正食の教えとして学びましたが、家にもあてはまると思います。
身近な環境の中で育った木が、共に生きて、自分たちの暮らしを支えてくれていると思えます。
家のあちこちに木の先っぽを置いています。
どんな大きな木も、先端部分はさらに伸びようとしているこんな小さな枝。
根っこから先端までがつながり生きています。
木が教えてくれる、いのちの循環の中に人間もあるのだということを認識して過ごしたいと思っています。
木立の中を歩いたら気持ちが潤いますね。
木たちはマイナスイオンをたくさん出して、電磁波の多い現代の環境を潤してくれていると思います。
家の中に小さな一枝を置くだけでもいいですね。
今日も、最後までお読みいただきありがとうございました。