「走ることはできない。」そうチームに申し出たのは本番2週間前くらいださっただろうか。監督が交代して1年目の今回は学生主導でのチーム運営だったので、同学年のキャプテン、エースの2人に話した。まあ、そうした流れはうすうす感じていたと思うが、

「そうだな」

それ以上の言葉はない。でも、それがありがたかった。「よくやった」とか「残念だった」などの言葉は求めていないし、4年生最後の大会「次頑張れ」とは言えない。そっとしておいて欲しいというのが正直な気持ちだ。

 実家の両親にも、同じことを伝えた。

 

 さあ、ここからが走れない箱根駅伝の始まりだ。

ここでチームのサポートに回り、メンバーを応援する。というのがこの場合のシナリオだし、世間的には美談かもしれない。しかし、当事者はそんなものでは片づけられない。

 もちろん、与えられた役割はしっかり全うする。ただ、勝負に負けて悔しい思いをするのならともかく、スタートラインにも立てない苦しみは、本番まで続く。

 

 今年の箱根駅伝も、故障や体調不良でメンバーから外れた選手は、付き添いや給水係となってテレビでも多く取り上げられたが、彼らの本当の苦しい気持ちはテレビでは伝わらない。ましてや最終学年の4年生であればなおさらだ。

 そしてレースが終わっても彼らには出場した選手にはない気持ちは残るはずだ。これらの気持ちを整理するには時間がかかる。

 

 前回、無我夢中でチームから後れを取らないように頑張った自分。今年のために準備した自分。ずっと遡ればこの大学を目指して取り組んできた自分。

 これらの自分の集大成となるはずだったレースに出ることができない自分は、本番まで、そして終わってからどんな自分でいるのだろう。

 出場できない自分がどんな自分なのか?

 

苦しいかもしれないけど、しっかり自分を見なければいけないと思った。走れない悔しさ、後悔、走れる選手への嫉妬。今まで見ないようにしてきた自分をしっかり見つめ、向き合わなければならない。そして、これが私の最後の箱根駅伝だと決めた。

 

~つづく~