左ひざを痛めて2週間が経過し、その間にさまざまな施術を試みたが、時間は過ぎるばかり。
ただでさえ強化のこの時期に大きな穴が開いてしまっている。
ある日、トレーナーから提案を受けた。
「大学を卒業してからも競技を続けるつもりはある?」
「今のところはっきりは決めていません。」
「箱根は出たいよね?」
「はい」
「では、この時期だからもうこれしかないね。」
「患部に痛み止めを施して、とにかく練習しよう。でも痛み止めは3回まで。最後の1回は当日」
数日後、トレーナーに医師を紹介状をもらい、1回目の施術。
翌日の練習に復帰して軽いjogをしてみる。
痛くない。
走ることの喜びを久々に感じた。果たして間に合うだろうか?不安は拭えないもののできることをするしかない。
数日後、JOGでありながら練習の後半になると、やはり違和感が戻ってくる。2回目の施術が必要なのかもしれない。
監督の見えるところでは普通にJogしながら、見えなくなるとスピードを落としたりウオーキングに切り替えたりして凌ぐ。
そもそも痛みの原因が除去されたわけではなく、痛みを感じなくしているだけなのだから。
練習後、銭湯につかりながらこのひざはどうなっているのか?開けてみてみたい。
さすってみたり、水をかけてみたり。下宿に戻るといろんなことが頭をよぎる。
「だめかな?」「もう少し粘ってみるかな?」「もし、レースの途中で痛みがでたらどうしよう」「もしかしたら、痛み止めを施して耐えられるかもしれない。」
そして、4年間の競技生活、支えてくれた家族のことなど、葛藤はつきない。
一晩格闘した。
そして、出した結論として、2回目の痛み止めは施さないことにした。
40年近く経過した今もその時の気持ちはよく覚えている。
もし、途中で走れなくなった時、他のメンバーに取り返しのつかない傷を残す。
わかっていても、自分を納得させるのは大変だ。
ここ数年も違和感、体調不良を抱えながらも出場して、ブレーキはともかく途中棄権する場面を少なからずテレビで目にする。
逆にエースと目されながら、当日エントリー変更で補欠に回ることも少なくない。
正義感?義務感? その場面場面ではどちらの選択も当てはまる。そして、いずれも勇気がいる。
結果的に何が起こるかによって、後付けで判断される。
私は私の選択をした。
そのときは、こうして自分の気持ちを整理した。
~つづく~