大学3年生で箱根駅伝を経験し、精神的にも競技的にも少しばかり向上したのか、最後の年になって春には関東インカレの代表ともなり、8位となることができた。
夏合宿には箱根駅伝での区間賞に照準を合わせて走りこんだ。
監督が前年度で退任し、新たな監督のもとで実質的には学生主導で練習を組み立てていた。時には学内合宿を組み、何度かミーティングを繰り返した。
残念ながら、明確な箱根の次を目指す選手と私のように何とかついていこうという浪人を経て入学した選手が混在し、しかも今のような合宿所で一緒に生活しながらということはなく、合宿所にいたのは一部の学生であり、ほとんどが個々にアパート等で下宿していた。というのも「駅伝部」ではなく陸上競技の一種目であり、合宿所には短距離、投擲、跳躍選手などさまざまな種目の学生が多く生活していた。
あくまで自己管理である。
11月末までにロードレースを絡ませながら積み上げてきて、12月に入り本格的に最後の集中強化練習に突入する。大事な時期である。
私は6区、山下りの可能性を想定して、11月下旬に実際のコースでの試走をいれた。そこで、前年度の記録より30秒以上短縮して走りきった。実際にの感触もかなり良かった。順調である。
12月に入り、先に書いた集中強化練習期間に入った。
試走の疲れが結構あって、正直きつい入りではあった。
ある日、みぞれ交じりの寒い月曜日。この日はきつい練習期間の中のうちの少ない休養日であった。休養といっても完全に休むことはなく、軽いジョッグでつなぐいわゆる積極的休養なのだが、走り終えた時、左ひざに違和感を感じた。屈伸したり走りなおしてみたりしたが、違和感を確実に実感した。
「まずいな」いやな感覚が残った。
~つづく~