今年の始めに紹介してきた

昨年の大河ドラマどうする家康

徳川家臣団ゆかりの城。

 

「どうする家康」はすっかり過去の話となっていますが

せっかく小田原に住むこととなったので

家臣団ゆかりの地・小田原をめぐってきました~走る人走る人

 

小田原合戦・豊臣方勝利により

関東へ国替えとなった徳川家康。

家臣団に関東各地の所領が与えられます。

 

徳川四天王 井伊直政・榊原康政・本多忠勝に継ぐ石高。

小田原を4.5万石で拝領したのは

 

大久保忠世

 

小田原城は既に何度も紹介済み。

 

今回は小田原の大久保忠世ゆかりの場所です。

 

大久保忠世が入城した当時の小田原

豊臣vs北条 20万以上の大軍が

100余日に渡り攻防した決戦の跡地。

 

にらみ合いが続いていたとは言え

小田原の地はボロボロ

 

田畑は荒廃、餓死する民も出始め

主をなくした北条家臣団は

バラバラに小田原を去って行く。

 

そんな中での小田原統治。

長年、北条を慕ってきた民を束ねばならず

並大抵の苦労ではなかったと思われます。

 

大久保忠世はひたすら小田原の安寧に力を注ぎ

1594年、その生涯を閉じました。

 

では小田原に残る大久保家ゆかりの地を訪ねます。

大久保神社ダウンダウン

小さいながら大久保家を感じられる場所です。

当初は小田原城天守台にありましたが

明治33年に北条時代の城跡である小田原市城山に移転しました。

 

階段を上っていくと門があり

 

そこには大久保家の家紋

 

中に入って

 

拝殿にお参りし

 

次の場所へ。

大久保神社から徒歩15分ほどの場所にある

大久寺

 

小田原藩主大久保家菩提寺

大久保一族の墓があります。

 

寺の所々に大久保家の家紋

 

 

ここで大久保一族の墓に手を合わせ

次は小田原駅へ。

 

小田原駅東口のアーケード屋根です。

数々の家紋。

ここにもちゃんと大久保家の家紋が刻まれています

 (3番目が大久保家の家紋です)

 

ここまで見て大久保家ゆかりの地めぐりは終了です。

 

さて、大久保忠世が亡くなってからの大久保家ですが・・。

2代目忠隣が跡を継ぎ

引き続き小田原の安寧に力を注ぎます。

しかしながら1614年に改易(理由は諸説あり)。

その後、大久保家は再興。

転封・加増を繰り返し

72年後・五代目忠朝の時に再び小田原城主に返り咲きます

以後明治の廃藩置県まで200余年

大久保家の小田原統治が続きます。

 

小田原とは別の地となりますが、ここも・・・。

先日行ってきた箱根の関所

 

管轄は小田原藩

再現された関所に大久保家の家紋が大きく描かれていました~音譜

 

北条が偉大すぎて影に隠れがちの大久保家ですが

小田原の地にしっかりと根付いていました。

こうやって、ゆかりの地を訪ねることで

大久保家を知ることができて良かったですラブラブ