大阪府狭山市の
小田原征伐後の北条家を訪ねています。
北条家の降伏で秀吉の下した沙汰は
主戦派
4代目北条氏政・八王子城主北条氏照らは切腹
穏便派
5代目北条氏直・韮山城主北条氏規らは高野山蟄居
高野山に蟄居した北条氏直らは
徳川家康と非常に近い関係にありました。
北条氏直の妻は徳川家康の娘の督姫
北条氏規は今川家人質時代に徳川家康と親交。
そのため徳川家康の口添えもあり
氏直・氏規は翌年赦免され豊臣秀吉の直臣となります。
その後
北条氏直 所領を与えられるが翌年疱瘡を患い30歳の若さで死去
男子がいなかったため、氏規の嫡男氏盛が養子となり継承。
北条氏規 所領を与えられるが1600年死去。
氏規の所領も嫡男氏盛が継承。
氏盛は所領1万1千石の大名となり狭山に陣屋を構築。
狭山藩北条家の初代藩主となります。
この狭山藩北条家は幕末まで存続していきます。
では狭山池博物館近くに
北条の狭山藩陣屋跡があるので行ってみました。
途中にある陣屋跡の看板
ポケットパークには
陣屋跡の碑と
説明板
狭山市における北条の遺構はこれだけです。
一時は関東で250万石の栄華を誇った北条。
かつての北条とは全く違いますが
それでも北条家はここで生き残っていたんです。
それを考えただけでも
涙が出てきそうになった狭山訪問。
行けて良かったです。