第二次国府台合戦。

1564年 国府台城を舞台に

再び、北条vs里見が戦います。

 

この時、北条家は二代目氏綱が亡くなっており

三代目氏康と氏政(後の四代目)の時代となっていました。

 

第一次国府台合戦勝利により

古河公方から関東管領職に任じられた氏綱。

その家督を継いだ北条氏康

 

関東から越後へ落ち延びた前関東管領 山内上杉家から

関東管領職を受け継いだ上杉謙信

 

二人の関東管領が存在しており

北条vs上杉で

関東における覇権を争いをしていました。

 

上杉方について援軍要請されたのが里見家。

里見義弘率いる里見軍は上杉救援に向かいます。

 

それを阻止しようと動いた北条。

国府台城で北条と里見が激突

 

北条方の太田康資が里見に寝返ったこともあり

北条2万vs里見1万2千の激戦。

 

里見の奇襲により

北条方・江戸城代の遠山綱景と葛西城主の富永康景が討ち取られ

一度は北条方の惨敗

 

この勝利に気をよくした里見義弘は

兵士達に酒を振る舞いお祝いムード。

 

チャンスとばかりに

その晩、再度北条方は国府台城に奇襲

 

宴でお祝いムードだった里見軍は

大混乱となり安房へ敗走

北条は国府台城の落城に成功し大勝利をおさめます。

 

この戦いで上総における里見の影響力は急速に減退。

北条の上総進出の引き金となりました。

 

では前回に引き続き

国府台城跡地・里見公園を廻っていきます。

 

当時のものではないと思われますが

城跡っぽい石垣

 

第二次国府台合戦で戦死した里見広次らをはじめ

5千もの兵を弔う

里見群亡の碑

 

群亡の碑と隣接してある

夜泣石

(里見広次の姫が夜通し泣き続けて

亡くなったという伝説を秘めた碑)

 

城とは関係ありませんが

市川市最高標高地点とある低い山

 

 

国府台城見学を終えます。

 

またまたマイナーな城へ行ってしまいましたが

ここは北条五代で二度の戦いがあった

私にとっては重要拠点。

 

駅からの道のりも気持ち良く

行って良かったと思える城跡でしたラブラブ