前回のブログ記事で

扇谷上杉家vs伊勢宗瑞(北条早雲)の戦いの地

大庭城を紹介しました。

 

その勢いで相模のほぼ西半分を平定し

次に狙うは相模の東。

三浦氏が治める三浦半島。

 

早雲は三浦半島まで一望できるように

鎌倉から一里先に玉縄城を築きます。

 

場所はJR大船駅近く。

大きなマンションが立ち並んでいるエリアですが

玉縄城の数少ない遺構をめぐって歩いてきました走る人走る人

 

車をコーナン大船店に停めます。

お買い物をすると3時間駐車代金が無料です。

(画像はお借りしました)

 

ここから歩きます。

コーナンから徒歩5分 龍宝寺

 

 

こちらの境内には玉縄北条家の歴史がたくさん。

まずは玉縄歴史館で玉縄北条家の勉強。

 

玉縄城築城は伊勢宗瑞(北条早雲)

初代城主は北条氏時

伊勢宗瑞(北条早雲)の次男で二代目北条氏綱の弟です。

 

玉縄北条家二代目は

氏綱の子供で小田原北条家三代目氏康の弟である北条為昌

残念ながら若くして逝去。

 

三代目が北条綱成

綱成は北条の子孫ではなく今川家家臣福島正成の子

今川家の家督争い”花蔵の乱”で

父の福島正成は敗れて自害。

その子の綱成は北条を頼り小田原へ。

(諸説あり)

武勇に秀でた綱成は氏綱に気に入られ、氏綱の娘と結婚

北条姓を名のることとなります。

 

小田原北条家の三代目氏康の時代となっても

武勇と忠誠心は変わらず。

日本三大奇襲の一つと数えられる河越夜戦においても

8万vs3千という兵力差にかかわらず河越城を籠城で死守。

氏康の援軍が到着するまで持ちこたえ

勝利に大きく貢献。

玉縄衆として北条家を支えていきます。

 

四代目からは

綱成の子孫が代々玉縄北条家を継いでいます。

 

歴史館で玉縄北条家の勉強をした後は

龍宝寺境内をウロウロ。

 

江戸時代の家屋を移築した石井家住宅

 

本堂

 

玉縄北条氏供養塔を見て

 

龍宝寺をあとに走る人走る人

 

ここからまた住宅街をとおり

 

七曲坂入口に到着

 

看板によると

こちらのマンション方面ダウンダウン七曲殿と呼ばれ

玉縄北条家四代目北条氏繁正室(北条氏康の子)

居住していた場所だったようです。

 

では七曲坂を歩いて行きます。

幾重に曲がりながら

太鼓櫓・玉縄城大手門へ通じる道になります。

 

途中にある武者だまり址

 

ここから敵を見張り、討ち取っていたんですね。

 

進みます。

 

登りきった場所には何やら小高い丘。

 

登ってみると

 

そこが太鼓櫓

 

 

木が伐採されていれば見晴らし良さそう。

防御にうってつけです。

 

太鼓櫓から進んで行くと

大手門跡

 

大手門跡ですが、現在は清泉女学園。

立入禁止となっています。

歴史資料館の展示によると

大手門はかつてこんな姿でした。

 

ここで玉縄城遺構めぐりは終了。

またまたこんな住宅街を通り

 

コーナンへ戻りました~走る人走る人

 

今回私が歩いたのは玉縄城のほんの一角。

 

マンションが立ち並び、本丸は学校で立ち入り禁止。

遺構が少ない中でしたが

本家 (小田原北条家)と共に関東を制覇していった

玉縄北条家に思いを馳せた城めぐりでした。

 

次の城は北条ではなく100名城です。