涼しくなった10月から

城めぐり・歴史めぐりを再開しました。

まずは近場の北条を歴史旅。

 

戦国ドラマで北条と言えば

クローズアップされるのは秀吉の北条征伐

 

大坂城への落城を拒んだために攻め込まれ

何の結論も出ない評定を繰り返し

(小田原評定という言葉も生まれてしまい)

秀吉が築城した石垣山一夜城で戦意喪失・落城。

 

なんだかイマイチで

関東における覇者の威厳が感じられないんですよね。

 

でも関東で城・歴史をめぐっていくと

そんな北条のイメージはがらり。

「それまでの北条がどれだけ耐えて苦労して戦ってきたかびっくりびっくり

 

その痕跡をたどっています走る人走る人

 

横浜駅と東神奈川駅の間。

京急神奈川駅から徒歩2分の場所が

かつて城。

 

その名は権現山城

現在は幸ケ谷公園として整備されています。

 

相模と武蔵の境目に位置しており

戦国初期は扇谷上杉家の家臣上田政盛の居城でした。

 

1510年、上田政盛が謀反

扇谷上杉家と上田政盛が争ったのが

権現山合戦です。

たんなる扇谷上杉家の内部争いはてなマークはてなマークと思われますが

違うんです。

 

上田政盛を調略し謀反をうながしたのが

伊勢宗瑞(北条早雲)

 

すでに小田原を取られていた扇谷上杉家は危機感を強め

今まで敵対していた山内上杉家と手を組み

権現山を囲みます。

 

上杉家両軍vs上田家

その数2万vs2千

圧倒的な兵力差に上田家は大ピンチ。

 

伊勢宗瑞が援軍に駆けつけますが焼け石に水。

圧倒的な劣勢に為す術なく・・・。

 

伊勢は両上杉家に対して敗北を認め

上田政盛以下の城兵全ての命を助ける代わりに

権現山城を扇谷上杉家に引き渡すことで和睦します。

 

その戦いの舞台となったのが

かつての権現山城であったこちらダウンダウンです。

 

城っぽい外観ですが

何の遺構もない公園です。

 

 

土塁かなダウンダウンと思われますが

違うんでしょうね。

 

痕跡はここだけ

 

さびれた看板。

 

これだけしか痕跡がない城跡ですが、

この戦いの頃から

今まで対立していた扇谷上杉家・山内上杉家が手を組むんです。

大嫌いな両家が手を組まなければならなくなるほど

伊勢(北条)の存在が無視出来なくなってきた。

 

それを思うと

北条の負け戦ながら気になっていたお城。

 

遺構はないと分かっていても

訪れる価値ありでした~走る人走る人

 

ちなみに権現山城が北条の支配となるのは

2代目氏綱の時代となります。