続100名城の高田城へ。

 

戦国時代劇でよく見かけるこんなシーン。

 

秀吉死後、禁止されている大名との縁組みを始めた家康

五大老と五奉行が家康を糾弾。

 

「内府殿は太閤殿下の法度に背いている。

これは大老にあるまじき振る舞い!!」

 

「あれ!?仲介人の今井宗薫が届けを出してませんでしたか!?

こりゃ、うっかりしてましたわ~」と

しらばっくれる狸の家康。

 

2016年の真田丸でもこんな風に描かれていますダウンダウン

家康を糾弾する五大老・五奉行

 

しらばっくれる家康役の内野聖陽さん

 

この他家との縁組み一組

徳川家康六男である忠輝と伊達政宗の娘である五郎八姫

 

この二人が結婚したのは1606年。

この夫婦は1610年に越後福島城に入り

1614年63万石で高田へ移り住むこととなります。

 

そのために築城されたのが高田城です。

縄張りは舅の伊達政宗

上杉家・前田家を含む13の大名による天下普請で築かれます。

大坂の陣を控え、急ピッチで築城。

石垣は設けられず、約4ヶ月で完成しました。

 

現在の高田城はこうなっています。

 

車を停めた現在位置アップアップが三の丸。

極楽橋を目指し堀沿いを歩きます。

 

高田城三重櫓を横目に進んで行きます。

 

極楽橋です。

 

渡リながら見た堀。

 

渡り終えると本丸。

 

ここから三重櫓へ

 

 

三重櫓を見た後は二の丸へ。

二の丸から見た三重櫓

 

二の丸にある上越市立歴史博物館

 

ここで上越市の歴史を勉強し

高田城攻城を終えます。

 

続100名城 高田城のスタンプです。

 

築城後の高田城主ですが

残念ながら松平忠輝は在城2年で改易

嫁いだ五郎八姫は一人伊達家へ戻ることになります。

改易後、藩主は変わりますが

高田城は加賀100万石に対する守りの要。

松平家と徳川重臣が高田を治め

最後は徳川四天王榊原康正の子孫が藩主を務め明治維新を迎えました。

 

次は翌日。

晴天に恵まれたので改めて行ってきました~。

春日山城です。