4月のことですが
日本100名城 九州エリアを制覇するため
長崎・熊本へ行ってきました~![]()
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到着後、最初に行ったのが平戸城
長崎空港から車で1時間ほどです。
平戸城はこうなっています。
駐車場がある
現在地とある赤点![]()
から入城します。
門が見えてきました~
この櫓が北虎口門
奥には地蔵坂櫓
中に入ります。
ここが平戸城の搦手。
天守へ向かいます。
進んで行くと
おっ!!珍しい。
石垣に穴。
狭間なんです。
漆喰壁ではなく石垣に狭間。
全国的にも非常に珍しい狭間なんですよ。
今は覗くと草で覆われていますが、
当時はちゃんと海を見渡せたそうです。
進みます。
ジグザグに折れ曲がった階段を上がり
虎口![]()
を通り抜けると
天守到着です。
中に入ります。
そこは歴史体験ミュージアム。
藩主松浦家の歴史をパネルで勉強したり![]()
築城の難しさを
体験しながら学んだり![]()
クイズ形式で
歴史が学べるようになっています。
ここで藩主・松浦家について。
松浦家の歴史は古く、出自は平安時代まで遡ります。
平家が滅亡した壇ノ浦合戦では平家側として参戦。
鎌倉時代の蒙古襲来において防戦に参加したりしました。
1587年豊臣秀吉の九州征伐の際には
平戸所領安堵を認められ
朝鮮出兵の際も7年に渡る激戦に投入されました。
秀吉死後、松浦家は平戸に日の岳城を完成させます。
立派なお城![]()
ですね。
この時松浦家は6万石ながら
南蛮貿易の富を得、実質20万石となっていました。
その富を象徴するかのような立派な天守。
そして豊臣家との親交も疑われ
徳川家に目をつけられます。
これはまずい![]()
と悟った当時の藩主松浦鎮信。
完成間近の日の岳城に自ら火を放つことで
徳川家に恭順の意を見せます。
その後約100年、松浦家は城を持たず
藩政をしきますが
1704年、幕府から平戸城の再築城が認められ
1718年に平戸城が完成します。
平戸城は明治4年に廃城となり
昭和37年平戸氏によって復元されています。
平戸城天守からの眺めです。
素晴らしい海の景色![]()
しばしこの景色をうっとりと眺め天守を出ます。
平戸城内をグルリと廻ってみます。
崖の上に立つ見奏櫓
懐柔櫓
乾櫓
マキ並木を通り
二の大手御門
つづじ園を通り
大手門を通り
城の外に出ました。
ここで平戸城攻城を終えます。
最後に日本100名城 66ヶ所目
平戸城のスタンプです。
次は平戸で食べたランチの紹介です。





























