前回、伊勢新九郎盛時(北条早雲)が

今川家からもらい受けた興国寺を紹介しましたが

その次に行ったのが伊豆の韮山城

 

早雲国盗りで得た最初の城です。

 

興国城を拠点とした伊勢新九郎盛時(北条早雲)は

ここから伊豆・関東を目指します。

 

まず目をつけたのが伊豆。

 

当時、関東は鎌倉公方足利成氏の管轄下でしたが

しだいに幕府と対立。

幕府は新たな公方として足利政知を送り込みます。

しかし政知は鎌倉入り出来ず

伊豆の堀越にとどまっていました。

これが堀越公方の始まりです。

 

足利政知が世を去ると

政知三人の男子によって跡目争いが起き

伊豆国内は大いに乱れます

 

この混乱に目をつけたのが伊勢(早雲)

1493年 堀越茶々丸が後継となり跡目争いは決着しますが

伊豆はまだまだ混乱中。

 

混乱に乗じて盛時は伊豆に奇襲。

圧倒的な勝利をおさめ伊豆を平定します。

 

伊豆を手中におさめた伊勢(早雲)は城を築城し

興国寺城から居城を移します。

それが韮山城です。

 

それでは韮山城を歩いて行きます。

 

城池親水公園を通り

 

韮山城入口です。

 

歩いて行きます

 

 

突き当たりは学校と富士山

 

更に歩いて行くと

 

本丸

 

ここから土塁を歩き

 

 

 

城池公園へ戻り

 

城めぐりを終えます。

 

さて、その後の韮山城

伊勢(早雲)の時代に小田原城も攻め落としますが

小田原城は嫡男である氏綱に任せ

自身は晩年も韮山城で過ごしました。

 

早雲亡き後、後北条家の拠点は小田原となりますが

今川・武田から守る防御の拠点として

韮山城は重要な位置づけとなります。

 

そして運命の1590年秀吉の小田原征伐

韮山城は秀吉軍4万4千に囲まれます。

北条氏規率いる韮山城は

3ヶ月間籠城で耐え抜き、後に開城となります。

 

北条五代の始まりから終わりまで見届けた韮山城。

ささっとめぐりましたが

歴史の重みを感じた攻城でした~。