日本100名城に行こう 13番目

白河小峰城へ行ってきました~車車

 

part2へ続くのでコメント欄はクローズさせていただきます。

 

白河といえば奥州の玄関口

 

白河小峰城は戊辰戦争において

新政府軍にとって会津攻めの最初の関門と言える城であり

幕府側の会津藩にとって絶対死守しなければならない城。

 

ここで会津戦争最初で最大の激戦白河口の戦い

繰り広げられ

その攻防は90日間にも及びました。

 

白河小峰城入口です。

 

まずは小峰城歴史館\300にて城の歴史を学びます。

 

私は会津戦争における激戦地という認識でしかなかったのですが

こちらを拝観することで、それ以前の歴史も分かります。

 

白河小峰城は

鎌倉~室町時代にかけて約400年間 結城家が支配

戦国時代は会津を所領していた蒲生家・上杉家が会津藩領地として治め

白河藩として独立するのは1627年丹羽長重からとなります。

その後は7家に受け継がれ

 

幕末、阿部家が移封となり空き城となった白河小峰城は

会津戦争の激戦地となり小峰城内の建物は焼失、落城となります。

 

では白河小峰城ダウンダウンへ。

 

ここは盛岡城・会津若松城と並び東北石垣造の三名城。

素晴らしい石垣を見ながら歩いて行くと

 

 

 

二の丸と本丸を結ぶ門清水門跡

到着します。

 

 

清水門をくぐると本丸へ続く道へと続きます。

左方面へ歩いて行くと

 

裏口にあたる桜門跡の階段へと続いており

 

右方向へ歩いて行くと

 

戊辰戦争で焼失して以来、約120年振りに復元された

三重櫓と前御門が見えてきます。

 

 

前御門をくぐると本丸跡。

part2へ続きます。