こんにちは。
だいぶ寒くなってきてホットジンジャーが飲みたくなってきたおっちーです。

奇跡の子が生まれて1ヶ月がすぎました。

1ヶ月健診も無事クリアしてスクスク育っています。

こどもの誕生から少し時間が経って、いろいろな想いや考えを整理できたので、今回はちょっと長くなりますが改めて奇跡の子の誕生について話しますね。

🌟男性不妊症発覚🌟

ぼくは2015年に妻と結婚しました。

2013年にブラインドサッカー国際親善試合日本vsブラジルの試合を妻が友達に誘われて見に来たときに、代表選手としてプレーしているぼくを見て、好意をもってくれたみたいです。



その後、たまたまお互い東日本大震災のボランティアで東北に行ってたんです。

ボランティアグループは別だったのでなかなか話をする機会はなかったのですが、2013年も終わるころにはじめて石巻で妻と話したのを覚えています。

ぼくは横浜に住んでいて、妻は東京に住んでいたので、ボランティアが終わって関東に戻ってからも、ごはんにいくようになり、めでたく結婚。

ぼくは日本代表としてブラインドサッカー に生活の全てを注いでいたから、妻がそばでサポートしてくれるのはとても心強かったです。

たとえば栄養管理。
ぼくのためにアスリートフードマイスターの資格をとってくれて食事もバランスや量を毎日考えて作ってくれてました。

ぼくはひそかに結婚して心に思ってたことがあります。

「自分のこどもに、パラリンピックのピッチに立つ姿をみせたい」

そんな夢をいだきながらこどもが欲しくて妊活をしてましたが、なかなか授かりませんでした。

2年がたった秋、テレビで妊活のドラマをやってました。そこで不妊治療の事を詳しく知り、はじめて夫婦で不妊治療のことについて考えました。

善は急げということで2018年あけにさっそく夫婦で体の状態を検査することに。

そこでぼくのほうに原因があることが発覚!
検査にいくまでは、
「俺は大丈夫っしょ」という意味わからない自信をもってました。
けっこうこの意味わかんない考え男性に多いそうです。検査にいかない男性もいるとか。

検査の結果を聞いて正直ショックでした。
診断名は
「精索静脈瘤」
不妊の30%はこれが原因だと担当医から言われました。

簡単に説明すると
心臓へもどる血液がもどれず袋の中の温度があがってしまい精子の運動率が落ちたり、数もへってしまう疾患。

たとえるなら、めっちゃ暑い真夏に外でガンガン働こうとしても暑くてやる気をなくしちゃったり、熱中症でばたばた倒れていっちゃうようなもの。


※実際の診断結果

ぼくがショックだったのは自分が不妊だったのもあるけど、もっとはやく検査だけでもしておけば妻の不安をはやくとってあげれたのかなって思ったからです。

だけど、現実をうけとめてその先どう進んでいくかが大事。

それはブラインドサッカーで何度もパラリンピックアジア最終予選で、あと1勝すれば出場というとこでのがしてきた苦い経験から学んでたから、すぐにこれからのことを考えました。


🌟苦しい不妊治療🌟

精索静脈瘤は手術である程度改善できるとのことで2018年の夏に手術することに。

その頃ぼくはブラインドサッカー日本代表をはずされ代表復帰のために毎日必死だったから正直
「手術してしばらく運動できないのはきついな」
そんな気持ちでした。

知ってるとは思いますが不妊治療は当時、保険適用外。なので全部実費。

ぼくの手術は確かもろもろ含めて50万円くらい。
手術は成功したけどなかなか検査の数値がよくならない。

精子に少しでも負担かけないように、
ボクサーパンツはやめてトランクスに。

あついお風呂に長くつからないように。     つかった後は冷たいシャワーで袋を冷やす。

妻は高齢出産にカテゴリーされる年齢ということもあり時間との勝負でもありました。

なので顕微授精にきりかえて治療しながら、精子と卵子を採取する方法をトライしてました。

採取するのにもかなりお金がかかり、受精したやつを凍結しとくのにもかなりお金がかかり、
排卵日にもどすために細かいタイミングを通院して調べます。排卵日前は多いときは週2とか週3で通院。もちろん全て実費。

2018年から顕微授精をしたけど受精状態のランクがAAからCCまである中でいつもよくてAB。(AAが良い状態)
それをもどしてもなかなか着床しませんでした。

まわりの不妊治療してる人に聞くと、いくつか病院を変えてる人が多いからうちらも変えることに。

2020年に銀座の両角レディースクリニックがいいという話を聞いて2人でいってみました。

うちらはこの転院が結果として奇跡をうむターニングポイントとなりました。

治療をはじめて2年がたち、妻の体にもいろいろと負担がかかってました。卵胞をとるためにおなかにホルモン注射をうち、飲み薬をたくさん飲み一緒にがんばってくれてる妻にはほんと感謝感謝の日々でした。

だから通院は毎回一緒にいくように決めてました。

できることはほぼないけど一緒にいることで話相手になり、少しでも不安とかをやわらげてほしいから。ストレスを少しでも取り除いてあげたらという気持もありました。

それから何度もトライしてはだめで顕微授精しての繰り返し。気がつけば2021年の夏になってました。

お金も1,000万円くらいはかかり
妻の体の負担もかなりあり
「もうやめたい」

妻からでた言葉。


🌟名前に翔をどうしてもいれたかった理由🌟

いきなりですがぼくは過去に『news zero』というニュース番組で嵐の櫻井翔くんと2回対談させてもらってます。

櫻井くんのことはYouTubeなどでめちゃしゃべってるからここでは省くけどめっちゃいい人なんです。
櫻井くんのおかげでブラインドサッカーもファンの人たちに知ってもらって認知されました。

実はぼく2019年に1人でめちゃめちゃ悩んでました。

それは精子の状態をよくするためにはサプリメントを飲んだほうがいいと医者にすすめられたからです。

アスリートはドーピングのことがあるから認定された薬しか飲めないんです。

アンチドーピング機構のホームページをみてもぼくが飲もうか迷ってるサプリメントがOKという記載はない。つまり、選手でいる限り、不妊治療の為の薬が飲めない。

選手をとるか、こどもができる確率をあげることをとるか!

これは自分で覚悟して決めることと思ってだれにも相談しないで1人悩む日が数日つづきました。
そして選手ではなく妻とこどもと3人で生きる道を選びました。

一応区切りとして対外的には2020年3月に日本代表メンバーに入れなかったからという理由で引退発表。

ただ選ばれていたとしてもドーピングの可能性があるから、理由を説明してはずしてもらったと思います。

パラリンピックが1年延期になり2021年の8月末に開催されました。一緒にずっとやってきたメンバーがパラリンピックのピッチにたってる。


※一緒にパラリンピックを目指した仲間たち

正直に言うと1割くらいは
「くやしい」
「うらやましい」
そんな気持ちがありました。

ただそれも櫻井翔くんのおかげで0になりました。
パラリンピックの期間中にテレビでブラインドサッカーについて話をするときにぼくの名前をだしてくれたんです。それも3回も。

「でれなかったぼくの気持ちを櫻井くんは受け止めてくれてる」
そう思って、すっと心が軽くなりました。

櫻井くん、改めてありがとう❗️

そして妻が不妊治療やめたいと言ったタイミングもこのころ。

ぼくはここまでがんばってくれた妻がやめたいというならやめてもいいと思いました。

そしてクリニックでもうやめようと思いますと伝えると
「最後に一度精子ふくめて採取してだめだったらあきらめませんか?」と医者から言われました。

というのも妻も子宮内膜症の手術を受けてすぐには着床トライができない状態だったから時間ができるならその時間でできることしませんかという医者からの提案でした。

ここまできたならやるだけやっておこうと話しあい、再度精子と卵子を採取することに。

そしてそれを顕微授精したら今まで最高ABだったランクが奇跡がおこり「AA」がひとつでたんです!

慎重にタイミングをみて着床トライ
無事妊娠することができました。

とはいえ、形態異常の場合は途中で心臓止まってしまうから毎回の通院はドキドキでした。

ある程度大丈夫ということになり銀座のクリニックを卒業して近所の産婦人科へ。

そこへも毎回つきそっておなかの中の子の成長をみまもりました。

病院はいまだにエコーでしかこどもの状態みれないから

「ちょっと頭が大きいですね」
医者にとってはなにげない一言かもだけどぼくにとっては

「なにか問題があるのかな?」

「無事育つのかな?」

ドキドキした。
願うしかないから神社へいって神様に願い

12月に心筋梗塞でなくなった父親に心の中で願い

なんとか臨月までこれました。

予定日は9月14日。
「1日遅れたら嵐の結成記念日じゃん」
そんなことを思ってたらうちら夫婦の子は東日本大震災の月命日の9月11日に生まれてきてくれました。

コロナの感染リスク対策で一切病院にたちいることができませんでした。

なのでもうすぐ生まれるかな?というタイミングは家で妻からの連絡まち。

そわそわしながらずっと待っててラインが既読にならないのを確認して
「今がんばってるのかな」
そんな想像しつつ
「俺がそわそわしてもなにも変わらないから落ち着いて無事を願おう」
そう自分に言い聞かせてました。

11日の夕方に連絡があり
無事うまれたと聞いた瞬間
「ありがとう、ありがとう」
感謝の言葉しかでてきませんでした。

ぼくの不妊がみつかってから4年半。
ながい道のりでした。

こどもがうまれてうれしいとかよりも妻に対して感謝の気持ちが多かった。
高齢出産は母体にもリスクがかなりある。それを承知でがんばってくれた妻。

ほんとにありがとう。


そして名前候補は3つありました。
「翔士」(カイト)
「潤」(ジュン)
「琢斗」(タクト)

翔士に決まった決め手は
妻が分娩中に苦しいときに流れてた曲が嵐だったそうです。

特にリクエストしてなかったから運命ってやつですね。

「これは翔士にしなさいということなんだね」
妻はそう思いながら、自然分娩で出産しました。


🌟妊活を頑張っているあなたへ🌟

タイミングが合っているのにできないなら一度男性側もふくめて状態の検査をおすすめします。

高齢出産となれば1日遅くなることでどんどん確率は変わるから。

今年度からは保険適用にもなりました。

お金の部分では少し負担はへったけど心の負担と体への負担はやっぱ大きいです。

だから夫婦で常に力をあわせてよりそって治療にはげむことが大切。

うまくいかないときは環境の問題かもしれません。
思い切っていろんな環境を変えてみるとうまくいくこともある。うちらはそのパターンでした。


いい心の状態で行動しつづけていれば奇跡はおこる。今回もそれを実感しました。

もしかしたら、同じように頑張っている方の励みになったり、参考になったりするかもしれないので、我が家の奇跡については、ひとつひとつの詳しいことを今後も改めてブログで伝えていきたいと思います。

そして全盲パパの育児も伝えていきますので、あたたかく見守ってくれたら嬉しいです。

皆さん、一緒に頑張りましょう。