こんばんは♪

だいぶ秋っぽくなってきましたねー。

8月24日からはじまったパラリンピックは昨日無事閉幕しましたね!

パラリンピックを終えた今、何を思ってるのかいつか見返せるように残しておこうと思います✏️

ちょっと長くなります。



2012年に東京2020が決まってそこが自分のブラ

インドサッカー日本代表としての集大成と考えました。

それと同時にリオパラリンピックへでとかないと自力出場できずに開催国枠ででれた国と思われてしまう。

そんな危機感を感じました。

そんな大事なタイミングで日本代表キャプテンに任命されたんです!!

それまではどちらかというと好きほうだいしてて異端児的な選手でした!

それがキャプテンってまったく逆の場所!!

ただ監督の気持ちを聞いて受けました。

ぼくだけでは絶対にいいチームにはならないと思ってすぐにキーパーのゴリこと

佐藤大介を副キャプテンにしてもらうようお願いしました。

ゴリはほんと選手のこまかいとこに気が付ける男なんです👍

ぼくが見えてない部分をおぎなってくれるすばらしい存在になりました。

チームとしてすごくいいチームになったと思ってます。

ただ中国とイランから点をとれるチームにはなれなかった。

その得点力不足が影響して勝ち点1イランにとどかずリオパラリンピックの切符をのがしました!

ちなみに6年前の今日9月6日がリオの切符を代々木でのがした日です。

そこから監督が変わり

コーチスタッフもプロフェッショナルコーチを招集して

木そから強化がはじまりました。

テクニカルコーチはクーバーコーチングジャパンの中川さん。

細かいテクニックを教えてもらいました。

今までなんとなくできてた部分をもっと高めてもらいました⤴️

東京2020の日本代表の得点力アップはこのクーバーメソッドのおかげです!!

また、フィジカルコーチはJARTAの中野さんが就任しました。

中野さんはプロ野球選手やプロサッカー選手のフィジカルトレーナーもしているんです。

この中野さんのメソッドは独特でみんな最初トレーニングを覚えるまで大変でした。

ただ中野さんの教えを継続していると確実に自分の体の変化がわかる。成長を実感する。いつのまにか体をほぐすのが気持ちよくなってました。

今までは一生懸命ストレッチしてたけどそうじゃないってことも中野さんから教わりました。

2016年のブラジル遠征ではじめて中国から点をとり1対0で勝利したことは最高の瞬間でした🙌

順調に成長して監督の考えの中ではサブでしたがチームとしても個人としてもすごく成長を感じてました。

そんなやさき2016年の11月のドイツ遠征で試合中に首を負傷して体中に痺れがはしりました⚡️

帰国してJISSというトップアスリートがいけるリハビリ施設でMRI検査をしたら2箇所も頚椎椎間板ヘルニアになってると診断されました。

医者からは選手としてはもう難しいと言われました。

次同じような衝撃を受けて神経きれたら車椅子生活になると。

全盲で車椅子で手足動かないのはさすがに怖くなりました。

ただ夢みたパラリンピックは目の前まできてる。

悩んだすえに現役続行を選びました。

今思えばこの悩みをちゃんとメンタルトレーナーに相談して気持ちとむきあうことをしとけばよかったなって思います。

ケガから復帰していまいちパフォーマンスがあがらずにあせってました。

うまくいかないと監督に怒鳴られる。

いつのまにか監督の顔色ばかり伺いながら合宿や遠征を過ごしてました。

そんなことをしてたら逆効果になるってことをこのときのぼくは考えられなかった。それほどおいこまれてたんです。

やることなすこと裏目にでて

2017年の9月に日本代表からはずされました。

メンバーからはずされるだけでなく合宿の強化指定選手からもはずされました。

すごくショックで何日も泣いてたのを昨日のことのように思い出します。

まだあきらめるわけにはいかない。そう思って何が自分にたりなかったのか、どうしたら代表でまた輝けるか考えて行動しました。

中川さんにお願いしてクーバーのパーソナルトレーニングをしたり

JALTAのパーソナルトレーニングを実費で受けたり

メンタルトレーナーとカウンセラーになれる学校に通ってメンタルを1から学んだりと

代表にもどるためにできることはすべてしました。

低酸素トレーニングもけっこうやって代表メンバーに負けないほどのパフォーマンスは発揮できてました。

2017年にはずされてから一度だけ合宿によんでもらっただけで2020年をむかえました。

2020年に入ってから引退が頭によぎりました。

2020年3月にパラリンピック前最後の国際大会

ワールドグランプリの日本代表に選出されなかったらパラリンピックの可能性は0だと思ったから。

残念ながらその大会にも名前はありませんでした。

その大会はコロナによって中止になりましたがメンバー発表だけされたので覚悟ができました。

2020年3月に引退。

パラリンピックにでて東日本大震災で被災した人たち

熊本自身で災害にあった人たち

西日本豪雨で被害にあった人たちなど

今まで関わった被災した人たちへプレイを通して笑顔にするという目標はかなえることができませんでした。



パラリンピックが1年延期になり2021年8月24日に開幕しました。

それまで所属しているONE CLIPというマネージメント会社を通して

メディア出演をしてきました。

2021年のパラリンピックでブラインドサッカーの解説とか

スタジオコメンテーターとかで呼んでもらうために。

結局それもかないませんでした。

ただ、開会式のムービーでブラインドサッカーのシーン撮影の依頼がきたり

Googleさんから仕事をもらえたり

ちがう形でパラリンピックへ関わることができました。

ぼくの目標のひとつに日本のブラインドサッカー普及があります。

目が見えないこどもたちがブラインドサッカーをすることで

社会で生きていくために必要なスキルを身につけてもらいたいから。

ブラインドサッカーのピッチには社会で必要なことがすべてつまってるから。

目が見えないことをほこりに思えるから。

だからぼくはパラリンピック期間中

YouTube Liveをしたり

やりたくなるハウツー動画をつくったりして

普及につながることをがむしゃらにしました。

パラリンピックのブラインドサッカー開幕の日。

どんな気持ちでむかえるかなと思ったら

くやしいとかいう気持ちはほぼなくて一緒にやってきた仲間たちが力をだせるように願ってる自分がいました。

そして監督目線で勝利する可能性を考えてました。

昨年から松本山雅というJリーグチームがブラインドサッカーチームを発足させて全盲の監督として就任してるからです。

日本代表はまたもや中国の壁にはばまれ予選敗退。

5位決定戦へ。

スペインとの戦いで一番長くプレイしてきた黒田智成のスーパーゴールで日本が勝利🌟

トモがゴールするとなぜか自分がゴールしたかのようにうれしさがこみあげました⤴️

大事な場面でメンバー交代できない日本の選手層のうすさがでてしまったけど

選手たちは全力でもてる力をだしたと思います。ほんとすばらしいパフォーマンスをみせてくれたことに感謝です👏

ぼくがパラリンピックのピッチにたてなくてもよかったなと思えたのは大きな理由があります!

それは嵐の櫻井翔くんがNHKのスタジオコメントでブラインドサッカーの話をするたびに

熱くしゃべってくれたこと👍
そして3回もぼくの名前をだして話をしてくれたこと😂

櫻井くんがぼくのくやしさとかつないできたバトンとかを感じてくれて

櫻井くんの言葉で伝えてくれたことがすごくうれしかったし救われました❣️

さらにパラリンピック期間中、一緒にYouTube LIVEやツイッターでブラインドサッカーをもりあげてくれたファンの人たちのおかげで

「ぼくが代表っからはずれたことには意味があるんだな。これがぼくの使命だったんだな。」

そう思えるようになりました。

ほんとみんなに感謝です🙇‍♂️

ぼくの ロード to 東京2020の章はこれで終わり。

次はどんな人生の章になるのかな?

乞うご期待👍