過去にどんな生き方をしていようとも、食事への思い出が無い人は居ないもの。

何処であれ、いつであれ、誰とであれ

思い出に結びつき、味覚として蘇る。

 

20年前、午前の奉仕が終わった後の土曜日に楽しみにしてたのが

奉仕区域のメインである超大型団地の商店街脇にあった地味な中華料理屋のチャーハン。

 

友人の兄弟と時間を合わせ、細い路地の先でひっそりと営業してるその店へ

正午を超えるともう座る席は無く、当時同じくらいの年齢の学生や社会人達の熱気と

出て来る料理の湯気で窓ガラスは常に曇っていたものだ。

 

店内はまるでマンガに出てくるかのようなカタコトの日本語を使う主人と

声が大きく口の悪い奥さん、イントネーションのおかしい「イラシャイマセー」を聞くと

ああ、俺の土曜日がやってきた なんて思ったもんだ。

全時間の仕事じゃなくとも、明日も朝8時半には王国会館に行かなきゃならないとしても

やっぱり土曜日ってのはワクワクだったね、エホバの証人だったときでも皆そういう気持ちだったんじゃないかな。

 

気を許せる友人と明日のものみの塔の記事の事から、お互いが気になってる姉妹のことや

長老のハゲ具合の進行状況までゲラゲラと話しながら、暖房すら要らない熱気がこもった店内の厨房から店の奥さんが一つずつ持ってくるチャーハンを待つ。

 

初めて来たのはその友人である兄弟に連れられて

「メシ付き合ってよ、千円もありゃ食いきれない程だよ」そう言ってマンモス団地の横の

この中華料理屋に連れてこられたのが最初。

 

出てきた料理は確かに強烈な量だった。

洗面器みたいな大きさの器が普通盛り、そこに詰め込まれた暴力的な量のラーメン

以前に姉妹たちが一度利用したらしいがその洗面器サイズの丼に入ったラーメンの量に秒殺

会衆内で「この世が滅ぶ前に、一度は食っとけ!」な評判の店。

 

そんなボリューム勝負みたいな店のチャーハンが何よりもお気に入りだった。

厨房からカタコトの「デキタネー!」の掛け声とともに奥さんがお盆に載せた大皿2つを持ってくる

 

2人前で大皿2つではない、一つは洗面器の丼を逆さにしたような量のチャーハン

そしてもう一つは同じような洗面器になみなみと収まったスープだ

この2つの大皿が貧乏開拓奉仕者の土曜日の楽しみ。

 

薄い狐色に焦がされたチャーハンは米一粒一粒が油で艶を持ち、その間にゴロゴロとした

濃い色のチャーシューが大量、レンゲで掬うたびに、それらが熱気のある店内に白い湯気を上げる。

濃淡のある狐色のそれらの上にこれまた大量に刻みネギが乗っかり飽きさせない

 

実にナイスな洗面器、だ。

 

このチャーハンが出てくるともう会話なんてしてられなかった

明日の研究記事だろうが意中の姉妹の事や長老の前髪の後退具合など、そんなもんは

全てチャーハンの白い湯気の向こうへ追いやられてしまう。

二十歳そこそこのニーチャン二人は無言でこの洗面器に入ったチャーハンに夢中だ。

 

パラっとしたご飯と噛むたびに肉汁が出てくる弾力のあるチャーシュー

シャキシャキとしたネギをひたすら頬張り

それをまた同じくらい大きい洗面器のような丼に入った淡い鶏ガラのスープで流し込む

頬張る、流し込む、頬張る、流し込む・・・

 

計4つの洗面器が綺麗になり、ようやくお互いが満腹で緩んだ口元から呟く

「やっぱここのチャーハン、最高だよな」

「だな」

当時800円でこれだけ幸せになれただなんて、安上がりな生き方だったのか

ともかく通常の土曜の最高の楽しみはこのチャーハン、土曜日はこの店で食うチャーハン。

 

あれから20年が過ぎ、Googleストリートビューでまだこの店が開いていることを知った。

カタコトの日本語の夫婦はまだ元気だろうか?

一緒にチャーハンを平らげた、友人だった兄弟は数年前に奉仕の僕を降りたという

彼の連絡先は、自分が組織から離れた時に消去したまま、今は何処で暮らしているかもわからない。

 

また食いたいなK兄弟、あの店のチャーハンをさ。

お互いこの世は死ぬまで続くってことを知ったんだからよ。

今度はお互い、今の事を話しながらさ。