こんばんは。お茶山 癒音(ゆの)です
今日は、癒音がオカリナをはじめたきっかけを回想してみようと思います
癒音は、ずっと吹奏楽部でフルートを吹いていました。社会人になってからも、高校時代からのフルート仲間と、ボランティア活動での慰問演奏を続けていました。
そのうちの1人が、いつの間にかオカリナ講師になっていました いつからか、ボランティア演奏にオカリナも取り入れるようになり、そして、また1人がオカリナ講師に。
癒音にも声をかけてもらったんですが、その時はパソコン教室のインストラクターをしており、その仕事が好きだったので、せっかくのお話を聞き流してしまっていました
そのうち、子どもが生まれ、思うように働けなくなった時、再びお声がかかりました。「オカリナの先生だったら、自分で無理なくスケジュールを組めるよ」と。
そこで初めて、そういう働き方もあるのか と、先に講師になっていた友だちに弟子入り。1年かけて、友だちの教室の補助講師として働かせてもらい、晴れて自分の講座をスタートさせたのでした
……と言いたいところですが、その講座は、サークル化することなく、ポシャったのでした
そして、なんと、その日に2人目の妊娠が発覚 さらに、義父が要介護生活に。またまた、オカリナ講師を仕事にする計画は、先延ばしに
2人目が1歳になる頃、再び講座開講リベンジ 今度こそ、晴れて1教室の講師となれたのでした。
とは言っても、子どもがまだ小さいので、非っっ常にスローペースで、教室を増やしていきました
癒音は恵まれていて、友だち2人が先に所属していた、NIGHTオカリナのメーカーである『(株) 大塚楽器製作所』さまが保有する、オカリナ楽団にも コネで 入れていただけました
オカリナ楽団には、アンサンブルチームがあって、そこにも所属。このため、奏者としての活動もさせていただけたんです
その頃、人生初めての個人レッスンも経験し、今ではサークル・個人合わせて、70名強いらっしゃる生徒さんたちや、会社のご好意のお陰で、楽しくオカリナ講師・奏者生活を送らせていただいています
これまでには、テレビ や、ラジオ出演など、貴重な経験もさせていただきました 著名なオカリナの先生にお会いする機会もあり、今思えば、最初から超強運だったと思います (神ω神)
だがしかし。
お茶山 癒音(ゆの) としての活動は、あくまで ぼっち でも何かできるのかと、始めてみたものであり、誰かに認められるまでは、細々と、でも着実に、笑われながら(今日も生徒さんに、ネーミングセンスを爆笑されましたw) やっていこうと思っています
女性オカリナ奏者って 綺麗 な人ばっかりだから、たまにはこんな変わり種がいてもいいと思うんですよね