庭のない家で育った私は、好きな植物を植え込んだ自分の庭を持つことが夢でした。
農業大学を受験したいと両親に話したら、あっという間に農家へ嫁ぐ縁談が設定されました。
18歳のことでした。
その後、3児の育児に追われていた時代は庭に対する関心も薄れていましたが、子供から手が離れてきた2005年ごろから再び庭づくりに目覚めてきました。
舅・姑から敷地内の一角を自由に使わせてもらう許可を得て、自分の庭として好きな植物を育て始めました。
最初は憧れの青い花が咲く品種ばかりを植えていました。
出荷以外に認められる自宅用の花卉栽培といえば「菊」などの仏壇用供花が一般的な農村地域において「食べられない植物」を栽培するという非生産的なことは「贅沢」であり「無駄」&「浪費」でした。
また、庭といえばナチュラルとはほど遠い「松」や「紅葉」などの刈り込まれた純和風的前栽でしたから、その一角にバラや洋風の宿根草などを植え込むことは、手入れをしてくださる植木屋さんにも快く思われていなかったようでした。
まず建物自体が超和風でしたし。
その後、園芸雑誌「BISES」の創刊で「イングリッシュガーデン」に心を奪われ、一方ではネット上で植物自由区(ショクブツフリーク)の片山陽介さんや「七栄グリーン」の伊波英雄さんの斬新で大人チックな「寄せ植え」に悩殺され、その頃のブログにこんなことを書いていました。
http://mimiomimio.exblog.jp/7735530/
今までとは違う「園芸」に期待を膨らませ、庭づくりとリンクして自分の人生を少し方向転換させようと思い始めた時期でもありました。
しかし、図らずも配偶者の突然の議員立候補により、自分のことをしばらく棚上げしなくてはならなくなってしまいました。
でも、その数年間が冷却期間となって、猪突猛進的に暴走せずに済んだかもしれません。
その後、選挙に関わることから距離をおいて、自分にとって必要なことの優先順位を熟考した結果、今の暮らしがあります。
わがままと言われても、人に迎合せず、自分を中心に老い先のことを考えました。
「生き易さ」は「逝き易さ」でもあります。
「死」は必然ですので、いつも視野に入れておこうと思っています。
その時まで大好きな庭と一緒に暮らすことが私の平安です。
