わたしのブログの読者様はきっと優しい人が多いのではないでしょうか?
子どもの頃から親や祖父母や周りの大人たちに
「ちゃんとしなさい」
「迷惑はかけるな」
「おねえ(おにい)ちゃんでしょ?」
「男の子なんだから…」
「女の子らしく」
と何十何百何万回とお経のように刷り込まれてきた
それが何十年も経って親や大人たちから離れていても頭の片隅で声がする…
そんな方はわたしだけではないはず。
子どもの頃の夢は人を助ける仕事。
でもそれは、本当の夢ではなかった。
介護医療、また保育、行政の生活のサポート等の従事者の方には日頃から頭があがらないのですが
(もちろん日々子育てされているお母さん、お父さん、大人の方へも)
義務感として人を助けるというのは一見すると
とても尊いことなのですが
裏を返すと「こんなにやってあげてるんだから!」と無意識に相手から報酬(言葉や態度)を求めていることもあります。
もしもご自身が人助けをしたい!と思った時に
まず自分の内面を観察してみてください。
誰かから「すごいね!」「かっこいいね!」と言われたいからと承認欲求が起点となっている方は、何らかの不足感を抱えている可能性があります。
(尚、幼い子がそう思うのは別です)
不足感を埋めるために現実逃避として擬似ヒーローになろうとしている可能性もあるかもしれません。
そうでなければ思考からではなく身体が勝手に動くはずだとわたしは思います。
周りの目が気になる
周りと比較グセが抜けないという方は
内よりも外に目が向きがちです。
本当はご自身は疲労困憊しているはずなのに
周りから嫌われたくなくて、とっくにキャパオーバーなのにもっと頑張ってしまう。
家に帰るとゴミまみれのような部屋で倒れるようにして眠る日々。
本当に助けて欲しいのは見えない他人ではなく
自分自身だった…
…実はこれ過去のわたし自身なんです。
この世界は自分の思い込みが創っています。
だから、困っている人を助けなきゃ!という
思考でいると不思議と次々と厄介な問題ごとや
困った人が目の前に現れる。
こんなはずじゃないのに…と思いつつも
目の前の人を見過ごすわけにはいかず
自分の生活を犠牲にして、人助けをする。
つまり需要と供給が合致して、時に共依存になりかねない関係性が発生する…
付け加えておきますが
人助けをすることが悪いことを言っているのではないのです。これは人助けの前提の話の話です。
わたしは自分がしあわせで満たされていることが
前提で喜びに溢れている、その溢れた部分で人助けがしたいと思っています。それはどんな小さなことでもです。
もしかしたら声かけもそうかもしれません。
昨日こんなことがありました。
歩道を歩いていたら目の前に恰幅の良さそうな
男性と小さな2〜3才ぐらいの男の子が手を繋いで向こう側から歩いていました。
その後ろを自転車が走っているのが見えたので
「後ろから自転車が来てますよ」と声をかけたのですが、こっちをむいてキョトン。
その親子は自転車にも振り向かず、そのままわたしとすれ違い向こう側へ歩いていきました。
こんな時、危ないから声をかけたのに!と不機嫌になるのでしょうが、わたしはならなかった。
なぜなら前提が「わたしが危ないと思ったから声をかけた」
親子のために声掛けをしたわけではないんです。
その前提が自分か他人かで、同じ出来事でも心の負担がだいぶ変わるのではないかなとわたしは思います。
まずは自分で自分を満たす。
小さな一歩からしあわせを感じる練習を
一緒に体験してみませんか?
昨日撮影した、近所の梅の木ですが
蕾が膨らみ始め、いつ花を咲かそうと
時期を待っているかのようです。
こうやって少しの時間自然に触れて
感じるだけでも気分転換になるかも!
今日も大切なあなたさまへ
愛と光を贈ります✨
大丈夫、あなたならきっとうまくいく。
今日も大切に読んでくださって
ありがとうございます。
かけがえのない今日1日をお過ごしくださいね!