どちらも去年は叶わなかったことである。

おせちは、数年前から瀬の本高原ホテルが提供しているセットを購入することにしている。1つは、これが一種の熊本復興の一助になっているためである。熊本県は、2016年の大地震で甚大な被害を被っているのだが、こういうとき、寄付以外にも、熊本県の経済を積極的にまわす、という協力の仕方がある。そのためには、熊本県で生産されているものを買うのが手っ取り早い。無論、おせちを買ったところで、寄与する効果は微々たるものだし、自己満足の域を出ないのだが、やらぬよりやる方がbetterであることは間違いない。

もう1つは、早い話、おせちを準備するのが面倒だからである。おせちの起源・効用は諸説あるようだが、たいてい正月三が日をおせちで過ごすのだから、実利的に考えると、その期間は台所を専らにしている女性にも、何もせずにゆっくりしてもらおう、という側面もあるように思う。しかし、そのために大晦日までは煮炊き物で女性は大忙しである。それらをお重に綺麗にレイアウトまでしないといけない。だったら、そこもお金で解決できればいいのでは??という発想は、自由経済にどっぷりな社会においては極めて合理的である。元日の前3日ほどは普通の生活を送れるし、元日の後3日ほどは何もせずにのんびり過ごせる。これを、おせちのセットを購入する金額に見合うと判断するかどうかは各家庭の価値基準に依るが、私の場合は「バランスしている」と受け止めているわけである。

去年は、入院していたし、逆流性食道炎で食べることもままならなかったので、届いたおせちは、すべて弟に呉れてやった。おせちだけではない。ふるさと納税で手に入れたホタテもイクラも呉れてやることになり、泣くに泣けない状況だった。しかし、今年は違う。12/30(火)にクール宅急便で届いたおせちは、私の目の前でテーブルに並び、せっせと腹の中に収めてやろうというわけである。

 

三段重のおせちセット(2026年バージョン)

 

病院でも、朝食で雰囲気だけの一品料理(栗きんとんや黒豆など)が3日間だけ付いていたが、やはりおせち料理はこうでなければならぬ。大きなエビは、後で味噌汁にぶち込んで出汁をとるのが好例である。

 

おせちが済んだら、腹ごなしにウォーキングをすることにした。ついでに初詣と洒落込む。これまで近所の神社に初詣することは殆どなかったが、今年はお守りのお焚き上げをしなければならない事情もあり出掛けることにしたのである。私は、旅行の際によく神社仏閣に寄るのだが、必ず交通安全のお守りを授かり、車のフロントガラスにペタペタ貼っていた。30くらいはブラブラしていたはずで、さながら「トラック野郎かよッ!!」という様相だったが、車を手放すことにしたので、それらも不要になってしまった。といって、そのまま可燃ごみ扱いではバチが当たる。なので、この日まで押し入れの中に仕舞っておいたのだが、やっと適切に処分することができるわけである。まずは、駒留八幡神社へ…。

 

駒留八幡神社

 

以前は、元日に行ったら神主さんが大麻(おおぬさ)で一人ひとりにパッパッパとお祓いしてくれた記憶があるが、時間的な問題か、昨今の物価高騰によるものか、何もなく只々参拝者は列をなしてお賽銭を収め、鈴をガラガラと鳴らし、祈願して去っていくだけだった。しかも、お焚き上げに初穂料500円也が掛かるようで…。これは、おそらく物価高騰によるものだろう。大量のお守りや破魔矢などを焼くのにも人件費が掛かるので、これもやむを得ぬことなのかもしれない。

次に、松陰神社に向かう。

 

松陰神社

 

こちらは、物凄い数の参拝者だった。長蛇の列で、かなり怯んだが、我慢して並ぶことにした。参拝するまで、かれこれ1時間半は待たされたと思う。これでは、お守りも買う気になれず、また買ったところで、来年お焚き上げに500円也を収めることになることを思えば、経済合理的に考えて買わぬが華である。商店街も殆どがお店を開いており、道端では甘酒、おでん、お汁粉、団子などなどが売られていて、大変な賑わいだった。

 

というわけで、今年はおせちも初詣も完遂した。これまでは、新年が明けるということに、それほどの感慨を抱いたことはなかったけれども、入院、それも年をまたいで入院するという経験を通して、新しい年を迎えることのできる奇跡に何だか心も洗われた。もしかしたら、今日の天気が雲一つない晴天だったことも影響しているかもしれない。

 

PS1.今年も、拙いブログをボチボチ書き綴っていくので、飽きずにお付き合いいただければ嬉しく思います。

 

PS2.長澤まさみの結婚には驚いたな…。

 

PS3.後は、綾瀬はるかだけか…??